学ぶ姿を見せることでしか伝えられないのかもしれない

Twitterのタイムラインを眺めていたら


といった内容が流れていまして、まさにそうなんだなと。

某社で働いていた時に、新宿のオフィスへ出向くことがありました。某社の入っているビルの1階にはスターバックスが入っており、出社前にそこに立ち寄り読書をすることにしていたのですが、その時に気づいたのが、私よりも年上の方がより多くの読書や学びをしているという事実。どうやって、この方たちに追い付けというのだ。。。

ワタシの出会ってきた「凄いなぁ」と感じる方は、たいてい常に学んでいますし、部下からの意見を真摯に受け止めて、自分のモノとしていく姿勢があるんですよね。常に学んでいる状態。すでに凄いと感じるのに、どうやって追いついたらいいのでしょうかと。正攻法では決して追いつくことのできない圧倒的な何かの差を感じさせられたわけです。

そんな経験をしているからなのか、生徒たちには「学ぶことは役に立つ。というか、すごいなと思う人は、ほとんど学ぶことに真摯な人である」ということにしています。簡単に勉強ができる方法とか聞いてくる子どもがいますが、そんなものがあるならみんなやっていて、とっくに広まっているはずなので。短期的に点数が取れるかもしれないですが、長期的に見たら「じっくり、真摯に学びに向き合う」ぐらいしか方法がないんだろうなと。

学校教育における理科的な知識量は人一倍持っているのも、それは誰よりも小学校~高校までに至る理科教育について全体的に俯瞰で理解しようとフツーの人以上に取り組んできたからだと。それでも足りないと感じるので、ただひたすらに学び続けるしかないんだろうなと。せんせーも日々学んでいるので、その姿をみて学ぶことに興味をもってもらうことしかできないんだろうと、ただただ真摯に向き合うことが自分のできることなんではないかと、改めて感じております。

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