刺さるマンガ「ブルーピリオド」

いいマンガなので、ぜひ何度も読んでもらいたいのです。4巻まで発売されております。特に中高生あたりに読んでもらいたい。進路のこととか、もやっと悩んでいる人におススメ。

成績優秀、世渡り上手。

飲酒喫煙夜遊び好きで人望もあるリア充高校生男子が

なぜか絵を描く喜びに目覚めた!?

美大を目指して青春を燃やすスポコン受験物語が開幕!

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス) 山口つばさ 裏表紙より

ブルーピリオド2巻の刺さる言葉たち

美術なんてできない教員です。技術的なこととか、芸術的なこととか、そんなことはわからないです。このマンガは、進路というか、何をしたらいいか迷う時期にこそ、器用貧乏なリア充の八虎が悩む姿から、「あぁ、迷っていいんだな」と立ち止まってモヤモヤ考えるきっかけを与えてくれるんじゃないかなと。そんな感じで名言が数々あるのですが、特に2巻の名言たちが突き刺さります。

まずは ”自分が何を好きか知ること” 
(大場先生が八虎へアドバイス)

お前本質を何もわかってない
(絵のうまい世田介が八虎へ言い放つ)

世間が良いっていうものにならなきゃいけないなら俺は死ぬ
俺の ”好き” だけが俺を守ってくれるんじゃないのかなあ…!
(女装男子鮎川が振られ嘆くシーンで)

俺の絵で全員殺す そのためならなんでもする
(八虎がムカムカと絵を描きながら)

ブルーピリオド(2) (アフタヌーンコミックス) 山口つばさ

読みながら20年も前のことを思い出すわけです。「あー、何かに没頭してたな」と。で、いまの生徒を見て(八虎を見て)思うのです。「そりゃ、情報がありすぎて没頭するのに迷うよな」と。

没頭することの必要性

中高生の時代までに好きなことに没入する体験が必要だと感じてます。無心で没頭する体験。自分の場合は、高校3年生の手前ぐらいで、教育に興味が湧いて、受験勉強そっちのけで、教育に関する本を読み漁る。小論文が必要かもってことで、予備校の人文系の小論文の授業にはまる。2週に1つのペースで小論文を提出すればいいのに、2週に2本ペースで文章を書き始める。(あ、読書感想文とか書くのも大嫌いな高校生だったんですけどね)

教員を志望したことの振り返りでも書いたけど、いま振り返るとよくわからない衝動で、「自分の好き」が理科と教育っぽいと信じて、ブレーキ壊して没頭してたんだと思うんです。理科の好きは自分の周囲の環境がそうさせたので、疑ってなかったんだけど、それに加えて何になりたいとか、教師になりたいとかそんなことは、ほぼ無しで、教育が「好き」って感覚があった。教える方法とか、そんなの無くて、教えるって行為そのものの難しさや、不完全な人間が不完全な人間を育てていくのに、片方がエラソーに話している滑稽なシステムが愛しくもあり、不思議でもあり興味深いという感覚(だった気がする)。

と、そんな感じで自分の青春時代の振り返りをさせてくれるブルーピリオドおススメです。

さよならキログラム原器

キログラムの定義が変わりました

1キログラムが変わったのではありません。130年前からいままで一切変わらなかった「1キログラムの定義」が変わったのです。

キログラム原器のレプリカさん

これまでの1キログラムは、「国際キログラム原器」の重さそのものと定められていました。 この定義は、当初10万年はもつだろうと考えられていました。ところがその原器の重さには、想定された以上の「変動」があることが分かってきたのです。 その大きさは、およそ1億分の5。

産総研HP「キログラム定義改定特設サイト」

1キログラムの由来は「1Lの水の質量」でして,それを基準にしながら微調整を繰り返し,「キログラム原器」を1キログラムの基準としていたのが昨日まで。3重のガラスの入れ物の中に閉じ込められたキログラム原器。変動しないはずの空間で保管されていても、変動してしまった原器。一般人には気にもならないことですが,基準が変わってしまっては困ることなので,絶対に変わらないもので定義づけしようというのが,今回の定義の変更の理由です。

身体性を持ちづらくなる技術の発展

技術が発展することで,いろんなことがわかったり,正しい(とされる)ことが厳密化されていくことによって,抽象化されすぎて,結果として「よくわからん」という事態になっているように感じています。

1メートルは地球を1000万分の1にしたことが本来の定義であって、だからこそ、地球1周4万キロメートルとわかりやすく設定しているなわけで。1日を24等分して1時間,それを60等分して1分,さらに60等分して1秒としてちょどいい感じだったのでそう設定したわけで。温度(セルシウス温度)も水が氷るときを0,沸騰するときを100として,間を100等分したらちょうどいい感じだったからそう設定したわけで。最初は誰もがイメージしやすかったんだと思うのです。

技術が発展するにつれ,正しさを求めすぎるがあまり,最初の決め方自体の怪しさに気づき,よりよくしていくあまり,初期衝動が分かりにくくなってるように感じます。正しさを求め続けることが「いい」とか「わるい」とかではなく,「おもしろっ!」ってフックを作ること自体が難しくなってる原因なのではないか 。また、情報化が進んできて、正確すぎる情報が的確に伝わりすぎちゃうことも 。おもしろフックの喪失の要因な気がしてます。

サッカーでファールしたらボールから 9.15 m 離れないといけないんですが,どうして離れるかとか,どれぐらい離れるのかに興味が湧きづらくなってるのかなと。というのも,「調べたらわかっちゃう」だから「覚えなくても誰かが知ってる」ので「自分のモノゴトとしてとらえられない」の経路。サッカー習い始めたころに「10歩離れる」とだけ伝えられ,その情報だけは「自分たちのモノゴト」として捉えて成長した後に,「10ヤード(= 9.15 m )離れるってルール」からそう教えられてたんだ!と気づく。そうしていくことで,気づくフックが育つし,次のフック(ヤードって何やねん!とかアメリカンフットボールも10ヤードやな!とか)がにょきにょき生えてくる感じ。

古き時代はよかった。と言うつもりはなく。情報はたくさんあるんだから,フックを生えさせる栄養は古き時代よりも豊富にあると感じているんです。土壌を耕して豊富な栄養を撒いて好きなようにスクスク育てばよいのですと。いろんなことに疑問をもてる養分ばかり豊富で,土壌を作るのが教育界隈に足りてないんだろうかとふと思ったので書き記しておきます。

と、ここまで読んでいただいた方には、ぜひとも「サッカー」と「フットボール」の違いを考えてもらいたいボクがいます。FIFAやUEFAのFAってFootball Associations ですから。。。

プログラミングの学び

息子が4月からプログラミング教室に通っています。もとから、興味があり(以前Ozbotの扱いでも初めて触れたモノに誰よりも食いついていた)、マインクラフトに精を出していたころに、学校帰りにチラシをもらってきて、「行きたい」と。体験教室うけて「やりたい」と即断。ボク自身もプログラミングに関しては、苦手ではないですが、教えるとかのノウハウとかわからないから、お任せしたいのと、そんな業界はどんなことやってて、どんなふうに教えるのかなーというのも興味があったので。

月2回の教室に通っていますが、本人は満足そうで、終わった後に、何をしたのかを詳細に伝えてくれています。その教室は、作業の後に発表をする時間も設けており、発表好きの息子としてはこれもいいなと思った点です。詳しく授業の内容は見てないのでわからないですけど、LEGOのマインドストームを利用したプログラミングです。本体自体が高価なものですし、モノが場所を取るので、教室で借りて取り組むのが我が家としてはマッチしているかなと。

2人で協力し合って、考えているので、そのあたり協働の作業も含まれているので、こうした学び方は学校であって欲しいけどなかなか難しいものだと実感させられています。方向性はこうありたいのですが、学校は人数が多いという課題があるからなと。

プログラミングが2020年度から必修化されますが、きっかけが与えられるぐらいになるんだろうなと感じます。scratchとか、触っていたらボクはワクワクしかしませんが、自由にさわっているから楽しいようにも思えるので。学びたい子にはどんどん好きなタイミングで学んでほしいなと。やりたい子には学校だけでは物足りないです。音楽でもスポーツでも同じことでしょ…上達したかったら、自分でコードを書いてデバッグしてなんぼの世界です。自分もGASを触りはじめていて、これはコツコツやって覚えるしかないなと。本業の合間に触っているので時間もあまりとれず慣れていない作業なので途方にくれています。

iPadならにはSwift Playgroundsを

Swift Playgrounds のプレイ画面

iPadをお持ちの方にはSwift Playgroundsをおススメします。最初のコードの表示に腰が引けるかもしれませんが、入力は簡単。仕上がったコードは本格的な感じに見えるし、順序立てて学べるので、「プログラミング教育がー」と問題意識のある大人がまずはさわってみることじゃないでしょうか。ソーシャルゲームさわるぐらいなら、Swift Playgroundsを触らせておいたら勝手に学ぶんじゃなかろうかと。というわけで、息子のiPadにインストールしておいたので、触れて遊ぶように促そうかと。

学び直せる世の中です

学ぶことはコツコツと進めるしかないと思うわけです。できなかったことも、コツコツ学び直せる世の中です。速度に差があったとしても、高校教育の課程ぐらいは本来100%に近い形で身につけておかないといけなかったのではないのかと。

In a traditional academic model, we group students together, usually by age, and around middle school, by age and perceived ability, and we shepherd them all together at the same pace. And what typically happens, let’s say we’re in a middle school pre-algebra class, and the current unit is on exponents, the teacher will give a lecture on exponents, then we’ll go home, do some homework. The next morning, we’ll review the homework, then another lecture, homework, lecture, homework. That will continue for about two or three weeks, and then we get a test. On that test, maybe I get a 75 percent, maybe you get a 90 percent, maybe you get a 95 percent. And even though the test identified gaps in our knowledge, I didn’t know 25 percent of the material. Even the A student, what was the five percent they didn’t know?


従来的な学校教育では 通常 年齢ごとに 生徒をひとまとめにし 中学くらいになると 年齢と成績でまとめて 全員同じペースで教えます 典型的には たとえば中学の 代数基礎で 指数を習うという場合 まず先生が授業で 指数を説明し 家で宿題をやり 翌朝 宿題の答え合わせをし それから授業 宿題 授業 宿題と 繰り返して 2、3週間後に テストがあります テストでは 私が75%で 彼は90% 彼女は95% という具合に 知識の穴が 明らかになります 私は25% 理解しておらず Aを取った生徒でも 5%理解していないところがあります


TED Talks Live “Let’s teach for mastery — not test scores” Sal Khan

Khan Academy の設立者サルマン・カーンのTED Talkです。95%できていたとしても残りの5%を理解していないままにしてはいないかと思います。理科を教えていると、生徒も大人も「理系のことは・・・」とさけられている気がします。中学理科の内容だったり、高校理科の必修部分だったりしても「わからなくてもかまわない」が横行してやいないかと。高校時代にわからなかったことでも、いまの社会は学び直すことができます。子どもに「勉強しなさい」という前に、「自らが学び直しなさい」と。一緒に学べばいいじゃないかと。必要じゃないではなく、本当は身につけていなければいけなかった学習過程を大人がまず取り戻す姿勢を見せなきゃいけないのかもと。子どもに言う前に、大人が(もちろん教員も)学び続ける姿勢をと。

Khan Academy は英語ですが、様々なコンテンツを自分のペースで学び直すことが可能です。もちろん無料で。数学や物理・化学・生物の内容をコツコツと学ぶことが可能です。英語で学び直すことができ、新たな視点で見ることができます。子どもだけでなく、大人も空いた時間に学ぶ姿勢を。

しゃべってきた@こうち100人カイギ

100人カイギってものご存じでしょうか。高知でも蔦屋書店3階のKochi Startup Base にて月1度のペースで行われており、そこで話してきたので、備忘録として(リフレクションも混みで)

教師のボクが外で話すわけ

まずは、授業のスタンスを知ってもらうために

授業の中でよく行っている、「単位の定義を考えてもらうこと」について紹介しました。1メートルの定義は決められているんですが、その正解を答えたところで生活の役に立つわけでもなく、それから自分の生活の中では何に相当するのかを考えてもらえたらなと。ボクのあとに登壇された、三味線演奏・指導家の方から「三味線の長さがだいたい1メートルですよ」と紹介されたのは、自分にとって参考になりました。そうやって、自分事としてとらえることが大切なのだと会場にいた方に気づいてもらえたらうれしいなと。

一応、答え的なものです。最近は3億分の1秒で光の進む速さと伝えたあとに、1秒で3億メートル進むんで、地球7周半(30万キロメートル)ですよ。子どものころ言ったことだか、聞いたことだかあるでしょ?と生徒たちに伝えています。あー、あれホントなんだというフックを作ってもらえたらいいなと。

探究活動に取り組まないといけない学校の悩みごとについて紹介。本当に社会の要請を受け、こう変わろうとしている(変えなきゃいけないと考えている)文科省の意識と、それに戸惑っている学校側のことを伝えたかったわけです。これまでは「1メートルの定義は○○で」と覚えるんだ、としていたことから、「自らの1メートルは何なのか」の問いを立て考えるようにシフトチェンジしないといけないんですよ。でも、ボクみたいな先生ってあまり見たことないですよね。ってことは、教員ってこんな教え方に慣れていないんです。でも待ったなしで改革は始まるわけです。だから学校側も大変なんですと。

だからこそ、教員や学校だけで抱えるは難しいすぎる課題なのだと知ってもらいたかったわけで。自宅でも家族が「私の1メートルっていうのはこう思うよ」と対話してもらえるだけで、子どもの学びのスタンスは変わると思うんです。学校のことだけ聞いてればいい社会ではなく、いろんな解釈があることを容認する社会であるべきだし、個々の考えを述べて「自分はどうするか・何ができるか」を考えて実行しないと、これから人手不足が加速していく日本は窮地に追い込まれるわけで。教員のできる教科教育はこれからも取り組んでいけますけど、多様化される社会で生活していく子どもへの個々の問いかけや、多様な生活へのアプローチなんかは、教員の手だけでは到底足りないわけです。ほんの少しでいいから教育に参加してもらえると、教育の立場にいる側は助かるし、協力し合うべきだと感じているわけです。

企業で実験教室の運営をしていたときも、バックヤードのスタッフが支えてくれていたし、だからこそ保護者と密に対話ができ、子どもの教育に携わる家族の方と協力し合う関係が取れてよかったなーと振り返ると感じるわけです。でも、学校だとなかなか難しいこともあるなと。

教員の立場の自分が学校の外で「学校もなかなか大変だし、でもやれることもたくさんあります」とオープンに伝えて社会との関係性を構築することで、何かが変わればいいと思っているから飛び出してきていることが伝わったらいいなと。そして、いろんなアイデアを学校に持ち帰ることができればありがたいことですし、ボクが教育の立場にいる人として話せることが提供できるのなら、それは遠慮なく使ってもらえたらいいなと。

と、いうことが伝えたかったのですが、慌てたので最期が尻すぼみだったなと。

その後の話で気づかされたこと

教員の立場だけしか生徒が見ていなければ、身近な大人としてあまり興味がわかないだろうと。外に出て教員ではない「何か」をすることで、大人って「こんなこともできるんだ」という目でも見てくれるのだろうと。そして大人として興味を持ってもらえるのかもなと。

あと、「進学に力を入れている学校で、どうして?」と学生から聞かれましたが、「授業中だけ考えるのではなく四六時中考えることができれば、結果として学びが深まるからだ」と。1メートルが気になって、ふとした瞬間毎に考えてくれたら、自分の解釈が深まるだろうなと信じていますし、自分がそうだったから。とも。そういったモヤモヤやら気づきのフックをたくさん子どもに提供することがこれからの教育には必要だと思うし、ボクは子どもたちに「考える人」になってもらえたらなと考えています。

やっぱり場を作りたい!

教え子が保護者と参加していて、「来てみて、いろんな人と話ができて楽しかった」と正直な感想を述べていました。学校外に高校生のための大人と話す場って必要だなって改めて感じさせられました。

あと、子育てをされている大人側の意見として、もっとざっくばらんに教員と話しをしてみたいと。ふと考えると、教員と話す場って学校の中でしかないですもんね。学校の外で、子どもの教育について大人と教員が話す場ってものも必要なんじゃないのかと改めて考えさせられました。やれるように考えないとですね。

調査書が電子化へ

高校の調査書が電子化へとニュースになっていますが、「調査書」って?の方も、いらっしゃると思うので、ちょっと紹介しておこうかと。

http://www.koukouseishinbun.jp/articles/-/5010
https://mainichi.jp/articles/20190428/k00/00m/040/182000c?fbclid=IwAR2TLyU7NLIjVNueqAsTYtihhQkOihvvf8F4RSg6NI7GOWsmVdJqY6up7co

調査書って

高校卒業時に大学受験をする先へ送付する書類のことです。内申書といったほうが理解がしやすいのかもしれませんが、正式には「調査書」。文部科学省の大学入学者選抜についての入学者選抜実施要項に様式が紹介されています。A4用紙の2枚分に高校生活の記録を集約し、学校が発行するものと考えてもらえればいいですかね。

現状では、 紙面スペースの関係もあるのか、「全体の評定平均値」と「学習成績概評」といった学業成績の部分が重視されがちです。(現状の高校生が理解してないので、評定値の算出方法ぐらいは自分ことのために知っていてもらいたいですけど。)電子化に伴い、20年度から枚数が無制限へと変更され、評定値に代わって「生徒の態度」を評価していこうという流れです。

文科省が進める大学入試改革では、受験生の「主体性をもって多様な人々と協働して学ぶ態度」も測るよう各大学に求めている。そのために調査書の活用を広げようと、(1)各教科・科目や総合の時間などの学習(2)行動の特徴、特技(3)部活動、ボランティア活動・留学経験・海外経験(4)資格・検定(5)表彰など(6)その他―といった項目ごとに欄を分けてより多くの記載をできるようにするなどの見直しをする方針だ。ただ、調査書を作成する高校教員の負担の重さも指摘される。大学からも、限られた期間で受験生の調査書を読んで、公平性を保ちながら選抜に活用するのは困難という声が出ている。調査書の電子化によって、高校側は記入しやすくし、大学側も多くの受験生の記入内容を入試で比較しやすくする狙いがある。

高校生新聞ONLINE 
2019.03.18 「大学入試で提出する調査書 2022年度に全面電子化を 文科省方針」
 

教員だけに任せられるはずもなく

高校3年間で、教員の力によって、個々の生徒の(1)~(6)の記録がすべて隈なく残されていく……なんてことは、厳しいと。彼らの生活の一部分しか知りません。考え方の変容や、学外での活動なんかは、自分で残すのが普通だと思うわけです。もちろん、文科省もその方針です。

文科省の委託を受けた同大など8大学が開発し、17年に開設されたサイト「ジャパンeポートフォリオ」との連携も模索する。同サイトでは高校生自らが、生徒会や部活動に加え、自主的な調査や論文、災害ボランティアなど校外の活動記録を登録。記載内容が事実かどうか教員が承認する仕組みとなっている。調査書にサイトへアクセスするリンクを張り、大学側が調査書の内容を詳しく確認することができるようになる見込みだ。

毎日新聞
2019年4月29日 「大学入試の調査書電子化へ ボランティア経験など記載 高校生自ら登録も 文科省」

と、なっているわけです。生徒・保護者の立場であれば、このような動きを知っておくか否かで受験機会に差がでてきます。学校側がポートフォリオの基盤を整備しているのか否か。自分で記録を取らなければ、他の誰も自分の記録は残してくれないことを理解しているか。もちろん、虚偽の記録など人物を見られたら嘘だとわかりますので、自主的な活動を通して高校生活でどう成長してきたのかを実践しておくことも必要です。これらは、学校や教員任せだけではどうにもならないことでもあります。

学校側は、全てを書こうとするのではなく、生徒が記録するべきところは任せ、基盤をどう整備していくのか、調査書の文章表現をどうしたら伝わるものへと昇華できるのか。生徒1人1人と向き合って、彼らの変容を見つめる・サポートするように変化していかないといけないのでしょう。

PC環境が整っていないとかは論外(と言いたいけどアヤシイのが学校の怖いところ)ですが、教員のICTスキルアップも大きく関わる問題なのかなと。会社勤めしてときは、エクセルとかパワポとか当然使えないといけない(使えなかった人っていたのかな?)し、出退勤の登録や自己評価シートの入力、給与明細の取得、手当の申請などはブラウザだったけど、できなきゃ自分が困るだけなので必死に覚えたし。そういった意味で、教員ってICTに関わる部分って何か足りないところもある気がする。

どうこう言っても仕方ないので、電子化に向けての教員がスキルアップする時間をどう捻出していくのか、学校が問われる課題は大きいなと。学校もICT関係は早く外部の力を入れるように開いていったほうがいいなと。

教員を志望したことの振り返り

「どうして教員をしているのか」と生徒から聞かれることが少なくない。どうみても情熱とか熱血とかそんなタイプではないですし、企業で働いた経験があったり、都市部から移住してきたり、まぁ、一般的な教員ではないから興味を持たれるようで。かといって、「どうして」と聞かれると、答えに困るのですが、振り返ってみることに。

きっかけになった記事

この記事を読んで、「情熱」を探そうって感覚なかったなと。そして、教員には「情熱」のあるものを探そうって指導する方が少なからずいるもんだなと。それぞれの生徒には、自分にできることぐらい何かがあるんだから、それをやってみればいいっていうのがボクのスタンスです。

進路選択を振り返ってみて

教育に対しての情熱とか進路選択をする高校生時代には、そんなになかったもんなと。たぶん、これが一番(社会に)貢献できるって感じていたぐらいです。会社に勤めるって感じの人間でもないと思っていたし、わからないことをわかるように伝えることが一番できそうだと思っていて、教育自体に興味はあって、でも、どの学校で教えるんだって考えたときに、高校生時代では選べなくて。だから、とりあえず全部の免許状とれてればいいじゃないかと。結果、「理科を学べて小学校教育課程」を選んだのでした。どうしても理科を教えたいなんて情熱は他の学生と比べたらたぶん無かったな。

でも、そういった環境に身を置くことで、見えてくるものがたくさんあったし、理科的なスキルも上達したし、あれこれ考える時間ができたことはありがたかったですね。卒業後もフワフワしていたボクに非常勤のクチを紹介してくれる恩師がいて、予備校の仕事を紹介してくれた塾講師もいて、企業での実験教室の募集を紹介してくれた同級生がいて、高知へ移住したくて移り住んでからも一時は手放そうとしていた教育の仕事にも出会えて…苦しいことも、もちろん沢山あったけど、「やったらなんとかなる」ぐらいのことはたくさん経験してきたので、乗り越えてきたんだろうなと。

心の拠り所になってるのは

教育(特に理科)の世界にいようと思ったときに、「理科の内容を俯瞰で理解できている」という自信を心の拠り所にはしています。誰よりも、詳しいというわけではなく、この分野とあの分野はリンクしていて…という関連付けの才だけはあると。そのただ1つ武器だけを頼りに、ほかの足りないスキルを尖らせては自分のものへと昇華させていき、これを繰り替えしてきただけです。

実験教室の運営とか、最初は吐き気しか感じなかったけど、マネジメントのことや予算管理のことを学ぶ中で楽しみを覚えていったわけで。運営に興味なんて微塵もなかったけど、嫌々トライしているうちに力がついて、気づけば楽しくなって…と。あの経験があるからこそ、ある程度どんな組織体でも役立てる基礎は身につけられたなと。あのしんどかったときに、1つだけでも武器があると、「あー、あの感じで身につけたらいいのか」と自分に言い聞かせていた気がする。

自分にやれることをやればいい

最近は、フワフワしていて、悩んでなさそうと言われがちなんですが、ホントは常に悩んでいて、なんとかなるさって解決できるような気がするまで成長しているように感じています。そんなスタンスになれるのは、目の前にあることに取り組み続けた結果であって、その都度その都度、自分の所属する組織体に貢献できることはなんだろうって考えて、自分の形を変化させながら生きてきたからなんだろうなと。はじめは情熱がわずかだったことに対しても、ちょっとずつ育ってきて、情熱って膨らんでいくもんだなという実感はあります。

ボクにとっては、教育というフィールドが一番自分にあうと信じて取り組んできたら、やっぱりそれが一番よかったのではないかなと。社会人を経験する中で派生してきた経験値は、自信を持てた1つの武器から生み出されたものなわけで。こうしてサイトをWordPressで構築することも、「やってたら楽しいし、やってみたらなんとかなるだろう」って感じで取り組んでみたらできるようになったし。そうしているうちに情熱のようなものが少しずつ大きくなってきたわけで。

だから、「やりたいことが見つからないのですが、どうすればいいでしょうか?」と悩んでいるなら、自分でやれそうな小さなことから始めてみて、楽しかったら続けていればいんじゃないのかなと。ボクにとって、教員を志望したきっかけって、「これならできるかな」って思っただけのこと。続けているのは、「これなら続けられるな」って思っているだけのこと。そうしているうちに、教育に対しての情熱のようなものが、指数関数的に増えてきているって感覚です。

PhETを使った理系の学び

PhET(フェット)をご存じでしょうか

PhETというコロラド大学が開発した、Web上で起動する科学シミュレーター教材といえばいいでしょうか。無料で公開されていて、中高生(小学生でも)が独学でコツコツと学ぶに最適な教材です。

たとえば直流回路キット

電気回路とか、うまく実験できないんですよ。学校だと電池ボックスとかあるけど、家庭だとそんなものないし、導線とか豆電球とか手に入りづらいし。かといって、中学受験ぐらいから電気回路の問題があったりして、中学理科ではオームの法則なんてものが出てきちゃったりして、問題解くことばっかり意識がいっちゃうわけです。

このシミュレーターだったら、材料の準備する必要ないし、適当に接続しても危険が伴わないし、とりあえずやってみて後から原理原則を考えてみるのに丁度いい。豆電球をつながずに、乾電池に導線だけをつないで回路にしてみると、ちゃんとショートして「あー、やったらダメだな」ってこともわかるわけで。

授業でやったことを補うととてもいい

光の屈折とか、実験しづらいけど、授業で扱うわけですよ。中学理科で。中学受験でも取り上げられたりしますよね。あれ、実際に自宅で実験するの難しいわけです。そもそも光源装置ないし、あっても観察がうまくいかないから。

そんなとき、PhETの出番です。

光の屈折実験を、簡易的に試せてしまうわけで。さわれる部分は限られているので、とりあえず触って試してみたら、媒質によって屈折角が変わってくるなとか、垂直に光が入れば屈折しないけど、光の速度が遅くなってるなとか、感覚でつかめるようになるわけです。

教師も授業で扱うと便利

高校生に物理を教えることがあるんですけど、波の分野をイメージさせるの難しいんです。本来動き続けているものなんだけど、教科書や参考書などの紙面上ではどうしても静止してしまうので。そんなわけで、ボクは授業中に

直線上で考える波はこのシミュレーションを

平面の波の動きはこちらのシミュレーションを

投影して、PhETも紹介して、自分で触ってイメージできるようにと伝えています。高校時代、物理分野のイメージがしづらくて、困っていた経験があります。イメージできるようになったのは大学に入ってからですね。イメージできるまでの時間を短縮するには、視覚的に学べて、自分で自由に調整できると、教科書で述べられている意味が頭に入ってきやすいのではないかと。

スマホやタブレットのブラウザ上でもこれらのシミュレーションは動くので、通学時間や空き時間にふと触って感じることが自ら学ぶ第一歩なんだと思います。こんな教材が無料で手にできるので、学びにどん欲な生徒には使ってもらいたいですし、大人は紹介して、さわることを見守ってほしいなと。

小学校教科担任制

小学校教員の教科担任制って…

ちょっと前のニュースですが、文科大臣の会見で話題になった小学校の教科担任制


記者)
 先日、小学校5、6年生で教科担任制を導入するということが一部でありましたけれども、現段階でどのような形での導入というのを検討されているのかということを教えていただけますでしょうか。


大臣)
 子供たちがSociety5.0時代に必要な力を備え、予測不可能な未来社会を自立的に生きていくことができるように、先端技術の活用や学校における働き方改革を強力に推進するとともに、教育課程や教員免許制度の見直し等も含む初等中等教育の在り方について検討する必要があると考えております。また、教育再生実行会議においてですね、新時代に対応した高等学校改革や技術の進展に応じた教育の革新について検討がされており、今年の1月には中間報告が取りまとめられたところであります。本当に多岐にわたる中間報告でもございました。このためですね、新しい時代に対応した義務教育や高等学校教育の在り方、教師に関する制度の在り方やICT環境を含む教育環境の整備、増加する外国人児童生徒等への教育の在り方などの初等中等教育に関する課題を総合的に検討する必要があると考えておりまして、近々中央教育審議会に諮問して、御議論をいただくことを考えております。


記者)
 確認なんですけれども、教科担任制もその中に含まれるということでしょうか。


大臣)
 はい。小学校においては、その発達の段階から学級担任制を基本としておりますけれども、現在においても、子どもの興味・関心、能力が多様化する高学年を中心として、教師の特性や専門性を生かして一部の教科において教科担任制を実施している学校がかなりあるというように承知をしております。また、小学校の教科担任制の充実によって、教師一人当たりの持ちコマ数等の改善につながることも期待されておりまして、これは「学校における働き方改革」の答申においても、今後検討を要する事項として、小学校の教科担任制の充実が挙げられているところであります。したがって、先ほど紹介をさせていただいたとおり、中央教育審議会において検討していただくことを考えております。

柴山昌彦文部科学大臣記者会見録(平成31年4月12日)

「 教師の特性や専門性を生かして一部の教科において教科担任制を実施している学校がかなりある 」と述べておりますが、そもそも、小学校に理科の専門課程をクリアした先生ってどれぐらいいるんでしょうかね。

教員免許状って

そもそも小学校教員に理想像を投影し過ぎていると前から感じています。というのも、小学校教員に必要な大学等での必要時間数って各教科に対して各4単位程度ですよ。授業としては各教科2コマですか。それで教えられるのかと。しかも、小学校教員免許状って取得要件的に養成課程での取得者が多くって、その大半が文系。大学受験時に理科(下手したら数学も)やってない。そんな養成をしてるんですよ、知ってましたか。ちなみに、大学の取得単位さえこなせていれば、免許状はもらえます。特別な試験があるわけではないのです。(ボクは教員免許更新制度に否定的ですけど、小学校の先生方に数学や理科の学び直し講座を設置して、更新制度に含めるのはアリだなと感じてはいます。)

大学授業2コマ分で

さて、想像をしてもらいたいのですが、文系の大学受験の対策をしていた学生が、大学生活で授業2コマ分の取得単位で、理系科目を小学生に対して教えることが可能なのかと。算数や理科は中学から高校にかけて、学ぶ内容にストーリーがありまして、その基礎段階を小学生で本当はやっているわけです。次につながる学びをしているわけです。が、おそらく高校数学や高校理科があやしい小学校の先生が(ただでさえ、ほかのことで忙しいのに)カバーできているはずもないわけです。

だからこそ、専科で、

って、思っているかもしれませんが、
「 教師の特性や専門性を生かして一部の教科において教科担任制を実施している学校がかなりある 」 って認識なんですよ。そこがアヤシイ。小学校で理科の教科を専科にしているケースをいくつか知っていますが、その先生の大半が理科のこと専門にしてないです。やる人がいないから、やっているケースが多いわけで。そもそも、小学校に理系専科の先生って学校に1名いるかいないかぐらいの人数ですから。そんな都合のいい人材いないんですって。

小学校教員養成課程を行っている大学を調べたら、わかることですが、ほとんどの大学が文系科目のみでの受験が可能となっています。特に地方私立大はそんな感じ。小学校教員養成課程は人気があります。学生確保に必死な大学としては、教員採用試験対策をして、地元に残れる人材を育成することを売りにしていますね。そうでもしないと先生の担い手がいないのことが問題の根本なんですけどね。

学校や教育だけの問題ではない

もはや、○○の問題である。と単純に言ってしまえる段階ではないと感じてます。そもそも、教員の質が担保できなくなっている社会構造であることが、問題の根底にあるように感じます。

最近【「%」が分からない大学生 日本の数学教育の致命的欠陥 芳沢光雄 (著)】という新書が出版されていますが、これぐらい理系教育はアヤシイところにまできています。

今も昔も、小学校の算数で「元にする量」と「比べられる量」を習う。
そして、元にする量を1としたときの比べられる量が0.01のとき、
その割合は1%と定められる。
この「%」は全世界共通の言葉で、
人口、予算に占める各種対象、食品の成分などの
割合や変化といった様々なものを測るときに用いられ、
私たちが社会を営む上で、現代では最も重要な指標である。
だが、全国学力テストで出題された濃度の問題で、
昭和の時代と比べると約20%も正解率が下がったことに象徴されるように、
小・中学生が「%」を極端に苦手とする結果が同テストで続出している。
日本では、こうした問題に何ら対策を講じてこなかったばかりでなく、
「は・じ・き」「く・も・わ」式の理解無視の暗記式の教育も加わって、
現在、「『%』が分からない大学生」が大量に在籍する状況に陥った。
本書では、こうした問題を日本の数学教育に対する警告と受け止め、
根本的な改革案を提案するものである。
問題の本質は大学生にあるのではなく、現在の教育のあり方なのだ。
「やり方」を覚えるだけの暗記ではなく、プロセスの理解が大切なのである。

「%」が分からない大学生 日本の数学教育の致命的欠陥 (光文社新書) 新書 – 芳沢光雄 (著)

教員養成課程の大学生とて違いはありません。そして、卒業して教員になり、小学生に理系科目を教えているわけです。専科教員の配置はすぐにでも行わないといけないぐらいでしょう。でも、そんな都合のいい人材なんていないんです。追い打ちをかけるように教員の不人気っぷりですし。

なので、コミュニティー全体で、小学生対象に理系科目の面白さや思考方法を伝えていかないといけないんだろうなと。ICTやプログラミング・英語教育も同じです。もう、学校(特に小学校)だけでなんとかなる段階は通り過ぎちゃってる気がします。だから、先生も学校の外へ出て、助けを求めるようになっていけばなと。ボクができることがあれば、可能な範囲で何なりと。

志望されない教員

教員採用の説明会ですでに危うい状況

https://twitter.com/VtXV5Y8EeIcyB6I/status/1123825087168294914

こんなタイムラインが流れてきました。教員採用の不人気っぷりです。さて、どうしてこんなことになっているのか。。。といったって、メディアで報じられる教員の「ブラック」っぷりとか、団塊の世代の退職時期からくる人員不足とか、まあいろいろあるんでしょうけど。

学校の「異動」って

教育に携わっていますが、公立学校の教員に全く興味がわかず、一度も公立学校で教えたことがありません。理由として大きくあったのは「異動」。学校間を異動して、その場所に沿った教育をとかなんとか理由があったように思えますけど、現在の教育に求められていることは、地域の特色に沿った教育実践だったのではないでしょうか。ボクは、教えることには慣れていますし、小中高の理科教育内容はだいたい頭に入ってます。でも、場所を転々としている感想としては、その場にアジャストしたスタイルを確立するのに何年か掛かるわけで。もっと腰を据えて、学校とともに教育についてじっくり検討するとかしたほうが、責任も出てくると思うんですけどね。「学校がどうやったらよくなるのか」なんて、単年度のスパンでは上手くいくわけでもなく、10年ぐらいの長い期間も含めて誰かが検討しなきゃいけないもんだと思うんですけどね。公立学校だと10年もしたら全員交代しているってことの方が多いんじゃないですかね。

海外の学校だと

台湾やカナダの公立学校の校長先生や責任ある方と話したときに、トップは学校の責任を負っているし、そのための教員の募集活動や、保護者とのつながりの構築や、学校外とのやりとりなんかを積極的にしていました。「自分の学校なんだから当たり前でしょ」という話しぶりでした。日本の学校にいないというわけではないですが、ふとした拍子に「異動」が発令されるわけですから、自分だったら「なんだかなぁ」となってしまうだろうなと。

近い将来学校に先生がいなくなる?

誰の責任でもなく、国全体が教員に厳しく当たり、教員の立場を軽んじきた結果が、志望する人が減ってきたという現状でしょう。4月には

 富山市の小・中学校で、育休や産休を取得した教員の代わりを務める臨時的任用講師(臨任講師)が22日時点で27人不足していることがわかった。同市教育委員会が明らかにした。今月1日時点では35人不足し、始業式の日に担任を発表できない小学校もあったという。

朝日新聞デジタル 2019年4月23日 富山市、臨任講師27人不足 担任を発表できない学校も

というニュースがありましたが、どの自治体でも起こりうる状況ではありますよね。残念ですけど、若い世代には仕事として魅力的とは思えないですよ。

教員免許更新制度…

あと、教員免許更新制度なんてものが、2009年ぐらいから施行されてて、大学卒業時に教員免許取得したけど、免許が使えない状況になっている意欲的な人が少なからずいると思うんですよね。ボクも1度は更新しましたけど、偶然教職に戻ってきていた時期だったから、更新できたぐらいで、更新講習を受講するには費用のほかに、所属学校の校長印が提出書類に必要で、「教員じゃないけど免許状もっててとりあえず更新しておこうかな」って人はお断りの雰囲気がありました。更新するのに手間もかかるし費用もかかるし、ほかの仕事していたら「何となく更新しとくかな」って感じのものではないですね。「失効してるっぽいから、教員はないなー」って人の声を何度か聞いたこともあります。人手足りないんだから、このあたりは見直したらいいと思うんですけどね。

個人的な感想としては、教員って「ブラック」とか言われてますけど、一般的な企業勤めしてたら教員って楽しい面もあって自由な部分もあって、楽しめる仕事だなと思えています。一般企業から教員へって流れがあったほうが、教員の幅が広がって、生徒たちも面白がるように感じるんですけどね。

公教育の転換期になれば

私立で教員している身で言うのもアレなんですが、本来教育は公的なものであって欲しいのです。機会の均等が保たれるべきだろうし。でも、選びたい人にとって公的な教育が魅力的ではないのが事実なんだと思います。現状の公立学校の環境で教えたいとは思えない自分がいますし。教育って、携わる人と場所によって成り立つものだと思っているので、公立学校の在り方自体を見つめ直さないと、教員すら存在しない自体になるんじゃないかと。公的なサービスであってもそれぞれが特色を出してをそれらを選べる社会にならないといけないんだろうなと。

そんな社会になるように、教員としてコツコツ活動しつづけます。