教育の場にフツーの感覚を

数年前、右寄りの方々が教育会を賑わせておりました。 教育会といえば、左寄りの方々が多い世界でもありまして、 教育学部に進学する際に、引っかかっていた部分です。ボクとしては「どっちがいいとかではなくて、どっちの思想も押し付けてこないでください……」

教育の場を思想の押し付け合いになることに対して疑問に感じていたんですが、
ちょっとまとまった考えが思い浮かんだので、別のところにメモにしていたことを改めて書き起こします。

どちらの方々にも不快さを感じる

主義思想を全面に押し出そうとする人たちって、押し付けようとするんです。「国歌斉唱する際は起立して、歌うんじゃー」とか 「国歌なんてクソくらえ。起立もしないし歌わんぞー」とか 極端な方々がいらしゃって正直迷惑に感じています。 「まぁ国歌だし、ここはちょっと立って歌っておくか」とかぐらいじゃダメですかね。 礼儀として起立ぐらいはしておいたほうが人間としてまともかなと思うから立つわけで、 国歌だから口ずさんでおこうかなぐらいのテンションですけど。

カナダに研修旅行で行った際に、 アイスホッケーを観戦したんですが、試合前に国歌斉唱があったんです。アメリカとカナダの両国歌の。 観客全員総立ちで、静かに聞いていました。アメリカの国歌でも立って聞いています。カナダの国歌は口ずさんでいます。人それぞれの声の大きさですけど。

この様子がグローバルスタンダードじゃないのかなと。

「君が代は国歌として認めない!起立などしない!」とか思想を振りかざす人がいますし、 「君が代は国歌じゃ、歌わんと認めん!」と逆側の思想を振りかざす人もおりますが、 外交上どうやらNational Anthemが必要になって、経緯はどうあれ150年ほどそれっぽく歌い続けているんですから、まぁ、形式上歌っておけばよくないですか?

で、National Anthemは流れる際は、起立ってのが好ましいので、それに従うという 国際基準に則っていまーす。程度です。庶民は。思想振りかざして国歌斉唱の際に起立しないのって、国際基準としては失礼な振る舞いですので、教育界の方々は、それを子どもに伝えることの意味を理解してもらいたい。かといって、起立しているからといって、全て信じている訳でもないですから、その辺も理解しておいて欲しいですね。「別にどちらの思想を受けとる訳でもないですし、そんな深いことまで子どもは考えとりゃしません」程度ですって。サッカーの日本代表戦での国歌斉唱を眺めながら、左右の主義思想など考えてる方はどちらも少数派ですから。

必要なのは食える力だって

教員やってて感じるのは、どちらの思想の方々も、「教師=仕事 」の感覚が欠如していませんかと。まぁ、思想の伝道師ですから、仕事って捉えてないんでしょうけど。あと、授業のことばっかり考える人もいるし,生徒指導だったり部活熱というベクトルに向きすぎてしまっている人もたくさん。

理想を振りかざしても、多くの子どもたちのミライには、ある程度の収入は必要なんですよ。理想論ばかり言ってても生きていけないの。稼がなきゃ生きていけないんです。たくさんお金稼ぐでもいいし、お金はちょっとでいいから楽しく人生歩みたいでもいいし、サヴァイブしていかなきゃいけない時代になってんだから、子どもにその力を個々が身につけられる場の設定が最優先じゃないのか?って。どんな生活したくて、それにはどんなことが必要で、だから何を学んでいかなきゃいけないのかをきちんと考えさせないと。

安くても儲けられる工夫があるから店は成立するわけで

そんなことを伝えるために振り返りましょう。教師は職業であり仕事ですと。その教師をしていて得られる給与はどこから出てるのか。何と引き換えに給与を得ているのか。どのような雇用関係を結んでいるのか。きちんと述べられる教員ってたぶん多くない。

教師も自ら仕事に対して対価を得ることにきちんと向き合うべきだし、収入はどこから得られているのか理解して、どんな財政状況か、収支バランスは問題ないのか、などなど。社会に出て働かないといけない子どもたちに、きちんとオトナとして理解してから発言しましょうよと。

あまりにも学校という社会が世の中の普通からかけ離れてしまっていて。そこに、両極の思想村の住人が最後のお花畑として狙っているのかもしれません。きっと、この住人たちはICTが迷惑なんです。だって外の世界とつながっちゃって意見をもっちゃうから。だから、両極の思想村の住人はそこだけは共通して断固反対とかになるのかも。子どもを食い物にしようとするのはやめて欲しいですね。彼らの生きていく術を見つけるのが教育の場ですって。 子どもと真摯に向き合いませんか。彼らの話を聞いて、オトナもきちんと伝えて、対話するのが、本来の姿ではないでしょうかと。。。

内向きにならないために

教員をしてるんですけど、外のイベントにドンドン足を運んでいます。外の学びの世界を肌で感じておかないとってのもあるんですけど、外とのつながりだったり、場を持つことが教員にとって大切やと思っているのです。

外に出て、いろんな人に出会い、名刺交換とかしますけど、最近の自己紹介は「たぶん先生」です。1人の人間として社会に出て交流をして、次の世代にできることは何だろうってアプローチしたくって活動していて、そんなボクの職場が学校なだけなので、「たぶん先生」

意見をアウトプットし続ける

もうすぐ不惑が見えてきて、これまでのことを振り返ってみると、大学を卒業して、学校の時間講師やって並行して予備校講師やっていた。そのあと教育企業で働いて、移住して、ひょんなことから学校に戻ってきて。。。と、教育に長いこと携わってきたわけで。

移住してみたら、地方と都市部との教育格差を感じちゃって、会社で働いてた経験があるから、社会と学校教育をつなぐ架け橋になれるだろうってことが文章をこうやって書いている衝動でもあります。文章を書いておかないと、腕が錆びるし、頭の整理ができないこともありますので。

せっかく社会人していた人間が教員やっているので、その視点から教育についてや、教員としては珍しい人種の理系教員の視点、受験に直結はしないけど役に立つであろう勉強方法など‥‥‥なんてことを文章化することをトレーニングしておかないといけないって感じているのです。

教員だからって内向きにならない

メディアを持っていることって大事ですね。って、教員を再開して感じてます。子どもたちの方がメディア(SNSやらYouTubeやらなんかしらのアカウント)を持っていて発表したり、コメントしたり、なんらか外向きに発言したりしてますし。ただ、教員ってそれをいいと思ってないんですよね。きっと。自分がやってもいないのに・・・バズることの難しさを知らない。間違うこともあるんだろうけど、それ以上に得るものもあると感じてます。外に出て、話す。外向きに、意見を述べる。賛同してくれる人たちと出会う。子どもたちが未来のためにしておくべきことの1つではないかと。

遠くを見れば、いろんなものが見えてくる

というわけで、しばらく沈黙してたんですが、インプットに注力してたので、またコツコツを書き溜めてまいります。

学びには「場」が大事

ふとしたことから、Life is Tech! と高知家のコラボITプログラミングキャンプの発表会の場を見学させてもらいました。あらためて、感じたのは学びには「場」が大事だと。

Life is Tech! って?

IT教育プログラムを提供している企業で、老舗。全国各地で、キャンプを主催していたり、企業とのコラボレーションに力を入れています。

https://life-is-tech.com/

教員向けプログラムも開催しているので、ちょっと興味があります。(が、今年はスケジュールが合わないな・・・)

プログラミングってハードルが高そう

そのあたりも工夫されていて、場づくりが圧巻でした。前で話す進行役に対して周りの学生(メンター)がガヤを入れたり、ツッコミを入れたりして、場が和みます。子どもたちの表情が柔らかくなり、発話しやすい雰囲気。子どもたちのいいところを最大限に引き出そうという工夫が随所に見られます。だからプログラミング初体験でも、積極的に取り組んでいけるんだろうなと。

プログラミングが取り入れられた目的ってのは、プログラミング的思考を大切にするんだと言われておりますが、それに加えて「自分で作ったものだからこそ、自信をもって他人に紹介ができる」ってところにあるんじゃないかと感じます。うちの息子くんもプログラミング教室に通っていますが、発表する際に、「こうしたらもっとよくなりそう」って改善する視点を入れていて、学びたいって姿勢をとても感じます。

学ぶ「場」を設計して見守ることの大切さ

大人がプログラミングのことわかってなくていいんですよ。きっと。どっちかっていうと、子どもがアウトプットする場を定めて、「すごいねー」と聞いてあげることなんじゃないかと。

https://www.ted.com/talks/sugata_mitra_build_a_school_in_the_cloud?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

今回、見学をしていた時に、Sugata MitraのTEDスピーチを思い出しました。PCを路上にセットしておくだけで、子どもたちが触って学んでって姿から、励ますことの大切さを語っています。そんな彼のスピーチの中で

The teacher sets the process in motion and then she stands back in awe and watches as learning happens.

と伝えているところがあります。学習が起こるのを待つことで、加速度的に子どもたちが学び始めることを設計しないといけないんだろうなと。そして、ジャマしないように、場の設計をして待つことが教師としての役割なんだろうなと。。。