ピッチって何だ?

pitchって何?

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pitch(ピッチ)って知らない人はわかんないですよね。超短時間でのプレゼンって言えばいいでしょうか。短時間で相手を共感させ、人を動かすプレゼン。エレベーターピッチや1分間ピッチって言葉がちょっと流行った気もする。とにかく余計なものをそぎ落として相手を納得させるやつです。

HeroMakersでピッチスキルを身につけるのは、余計なものをそぎ落として、やりたいことを洗練させていくことにあるんだろうとボクは感じています。あと教員てしゃべるのとか説明とか長いんだよね…それのカウンターなのかと。

大切なのは「構成(design)」「資料(document)」「伝え方(delivery)」って合宿で叩き込まれた。

「構成(design)」

短時間で伝えるには、6つのパートを作ること。「①必要性(need)」「②共感(empathy)」「③アイデア(solution)」「④アプローチ(approach)」「⑤実績紹介(highlight)」「⑥世界規模での大きな夢(Mission)」だそうで、順番とボリュームが大事。これは丁寧に合宿で叩き込まれた。丁寧にってのは時間をかけてではなく、それぞれの要素を簡潔にわかりやすくレクチャーしてくれてた。

「資料(document)」

お役所パワポ禁止とだけ合宿で言われた気がする。ボクはもともと文字は1行ぐらいしか入れないし、アニメーションも必要以上に使わない。教員のパワポ資料は頭が痛くなるぐらい文字が多い。わけわからん動きもあったりする。あれはアカン。Garr Reynolds のプレゼンテーションzenを何年も前に読んでたときのことを思い出した。パワポ死って学校で遅れて蔓延してる気がする。

「伝え方(delivery)」

合宿では、TEDを参考にぐらいの説明だったかな。伝え方は人それぞれだから、誰かのマネからすればいいと思ってる。たくさん見て身振り手振りとしゃべり方を真似ることなんじゃないかなと。TEDの教育といえば、Sir Ken Robinson はよく見られてますよね。あのしゃべり方は好きです。

Sir Ken Robinson: How to escape education’s death valley

Sir Ken Robinson outlines 3 principles crucial for the human mind to flourish — and how current education culture works against them. In a funny, stirring talk he tells us how to get out of the educational “death valley” we now face, and how to nurture our youngest generations with a climate of possibility.

最近、伝え方を真似したいのはLarry Smithのトーク。アイロニカルで熱い感じ。落ち着いた感じで熱量を表現したいな。

Larry Smith: Why you will fail to have a great career

In this funny and blunt talk, Larry Smith pulls no punches when he calls out the absurd excuses people invent when they fail to pursue their passions.

で、これらを用いて、1分ぐらい3分とか(5分とかだと長い?)でシンプルに、相手に覚えて欲しいことを自信たっぷりに話す。

あらためて、書き出してみて感じたのは、このスキルを多くの教員はなぜ身につけてないんでしょうか…。限られた時間内に伝えるって、多くの場面で使うよなーって思い出すと同時に、学校の場では誰も言わないスキルだなーって。この考え方と技を使おうとすると、生徒をどうやって惹きつけるかを自然と考えるようになるのだが…教員のみなさん、やってみましょう。

親友のこと

HeroMakersに参加したときに、「哀」について思い出して共有する機会があった。その後も、この件について引き出しが開いて、自分のやりたいことに1つの欠片はこの件によるもんなんだろうと感じたので、ちょっと書いておきます。忘れないためにも。ここで文字にしておこうかなと。

大親友なヤツがいた

中高一貫校育ちだったので、長い付き合いの友達がおります(高知に移住したもんだから、みなさんと疎遠ですけど)。そんな中でも、ボクといつもセットでいたと思ってもらえてる親友がおりました。変に熱血感のあった彼が。

高校卒業してから、大学進学して、ボクは講師したり予備校講師をしたりして、ノホホンな生活をしてました。彼は大学院を卒業して、新卒で某企業に勤めることになって、新規事業である実験教室に配属って流れになって。んでもって、彼は人を理科の詳しいヤツを探していて、白羽の矢をくれたわけ。んでもって、そこにjoinすることになって、同僚として働いてました。気が合うし、ちょっと無理しちゃったりして叱られたりもしたけど、気の知れた彼がいたからシンドイことも向き合えたのかなと。今思えばだけど。

軽い感じでの報告

企業に勤めてたら、健康診断とかあるわけで、彼はその何かの数値が異常値だったわけです。で、他にもちょっと変だなーってところがあったみたいで、上司から「明日、病院行ってこいって言われたから行ってくるわー」って感じだった。で、次の日、休みの彼から外線が掛かってきて、「いま、病院。緊急入院しなきゃいけなくなった。あとよろしく」みたいな感じ。たぶん、上司への連絡より先に電話くれたんだと思う。頼りにしてたのがポッカリ空いちゃったんだけど、まぁ、なんとかやりくりして。で、彼の受け持ってた教室へ異動してってことになって、彼の幻影と戦う毎日。(胸やけするぐらい)熱い彼だったので、子どもたちからも保護者からも信頼が厚いわけで。とにかく、対話して「彼とは違うけど、意志は同じ方向のボク」を理解してもらうのに必死だったかな。でも、今思えば辞めちゃった子もいたんだろうな。最低限での信頼は得られたと思うけど。

関わり方は変えられないよ

で、何年か経過して、だいぶいい方向に向かってきた様子だったので、入院先に押し掛けることに。あえて彼の31歳の誕生日に。「アラサー男子が誕生日に押し掛けてごめんよー」って感じで、男子校のころを思い出してどーしよーもない話をしてたり、震災の後だったから、病院すげー揺れたんだよね?どうだったん?とか不謹慎とか言われちゃうようなことも話してたっけ。あっというま。2時間ぐらいただ話してた。退院できそうってことだったから、退院してきたら教室に来て2人で子どもたちの前に立ってサプライズしないとねーって軽い気持ちで言ってた。夏には退院して、スタッフには会いに来てくれて、でも再発して、秋口には悪化して。もうこれはダメかもって連絡がきて、最後に会いに来てほしいって連絡があって、職場のメンツで押し掛けて、うなずくしかできなくなってる彼のを握りながら「オレの手じゃなくて、かわいい後輩の柔らかい手がいいじゃろ?」って。ちょっと笑ってくれたよね。ボクはそう信じてる。記憶の中で覚えてる彼に伝えた最後の言葉。減らず口たたけるのもこれが最後なんだろうなって覚悟してたし、いつもそんな感じだったじゃん。「最後のわがまま、許して」って。

その1週間後。土曜日だったかな。ホントは有給休暇とる予定だった。同級生の結婚式に列席するために。ほかのメンバーの関係もあって、午前だけ実験教室の実習に行くことになった土曜日。彼が最初にいた教室。朝8時半から勤務。その前にマクドナルドで朝マックしてた8時ごろ、彼のお父さんから訃報のメール。不思議と涙が出なかったんだよね。出せなかったのか。彼のこと知ってるスタッフがいたし、この件は今日が終わってから伝えようって上司にも相談して、何もなかったかのように実習してた。「キミならできるよね」ってことでしょ。試練ってやつでしょ、知ってた。だからやってた。そのあと、同級生の披露宴の余興で歌ってたし、二次会の乾杯の挨拶もしてた。涙なんか流さずに。でっかいお返しくれたんでしょ。そのあとのことはよく覚えてない。次の日も実習があった気がする。彼が立ち上げた教室で。スタッフは朝から泣きそうだったけど「彼はそんなやつじゃないからさ」って気持ちを押し殺して。で、先に彼の待ってるところに行かせてもらって、長い時間、ボクから一方的に話してたっけ。闘病中の話なんて1つも教えてくれなかったから、彼の家族からいろいろ聞かせてもらった。ずるいよね。でも、カッコつけてたからそれでよかったのか。

で、毎年、思い出しては少し涙して、「あー、声が聴きたいなー」とか「すげー愚痴言いたいんだけど」って思ってて、タイミングがあうと夢の中に出てきてくれるんだよね。最近出てこないけど。

「やる」ってことだね

で、HeroMakersに参加して「哀」のトピックスで思い出しちゃうわけ。で、彼のやってた保護者との距離感とか思い出しちゃうわけ。いいやつだな。やれってことでしょ。子どもの学ぶ環境を整えるためにも保護者ともコミュニケーション取れってことでしょ。あんときから笑い話で「2人で、寺子屋みたいなの作りたいよね」って言ってたもんね。あのニュアンスって、彼らの学べる環境を作りたいってことでしょ。遅くなったけど、やっと思い出せた。あのとき、2人で学校の外から見てた学びの環境の足りてないなーって感じた部分を補う何かを、だいぶ遅れちゃったんだけど、ちょっとずつだけどやっていくよ。保護者も含めて子どもを学びにつなげていく感じ。忘れてたわけじゃないんだけど、子どものこと全力で考えてた彼もボクもきっと大切にしてたことをもう一度認識しておくね。

HeroMakersBootCamp

「異端x先生の化学反応で起こす、思い込みの壁壊しパーティ」が高知県で……って、これはもう参加するしかないでしょ。わたし、だいぶ異端な自覚あったし。

スーパーティーチャーとか、名物先生とかの単なるヒーロー養成講座だったら、興味持てなかったはず。でも、やることは「HeroMaker」。ヒーローを生み出す何者かになるためのプラットフォーム。超長期的で広域的に生徒の学ぶ場づくりしたい自分にとってもいいんじゃないって直感があったわけです。

【公式】Hero Makers(ヒーローメーカーズ)

次世代のヒーローを育てる教育者を!Hero Makersとは、学校や教育を変えたいという熱意を持った教育者のための超実践型ヒーロー養成プラットフォームです。

内容はこちらを見てもらったらいいわけで

とにかく濃ゆい3日間

人生の中でも、これほどまでに濃密な3日間はなかったかな。ひたすら手と頭を動かして、対話して、英語も駆使して、何度も何度も「あなたは何がしたい」を問い続ける感じ。 白川寧々(ねね)と瀬戸昌宣(まさ)の見守る中で、 思い描いては消えを繰り返す。そして、次の日の宿題のために毎日夜中まで考えて考えて考えて……(宿題って大変だなって生徒の気持ちにもなれたのかな)

アイデアを発散しては収束させ、なんどもなんども繰り返していく過程で(しかも英語で行うからこそ)自分は本当に何がしたいのかが客観的に表れてくる感じ。言葉で表現したものが、ホントにしたい気持ちとは少しずれていて、それを追い求めていくプロセスがとてもワクワクした。アントレプレナーシップって働く人がもっていたほうがいいものであって、企業勤めしてたときも、仕事の中でプロセス回すことにつながって楽しかったっけ。学校ってフィールドでも同じだよね。先生もやったほうがいいよねって、改めて実感できた。

Startup Pitch

3日目は参加者がそれぞれプレゼン。基本英語で。夜中の2時半ぐらいまでかかって準備してたかな。頭が冴えるというか、ものすごいconcentrateできた感じ。

教員だってただの人
やっぱり保護者と教員が3rd placeで対話することで解決すること多いんじゃないかなって

やりたいことは、保護者と教師のコミュニケーション不足を解消したいって部分というか、「先生って人間だよ」って社会の人に知ってもらい、先生は「今までちょっと偉そうだったかも?!テヘペロ!」な感じで、社会に出てきてアピールしようよって。そうしたら、お互い「人間」としてコミュニケーションが取れて、子どもたちの学ぶ環境を再整備できるんじゃないの?ってホントは壮大な夢があるんだなって。

モンスターペアレントとかきっと幻想であって、教員側の想像上の生物な気がするし、ちょっと強めのクレームが出ちゃうのは、保護者(社会)サイドから見ると、先生って人間とは少し違うセンセイって生物みたいに見えてて、強くいっても心が痛まない状況になっちゃんてるんじゃないのかなって。単なるコミュニケーションのロスから起こしている勘違いワールドの小競り合いなんじゃないのって。

プレゼンのスライドも、学校やお役所仕様の文字沢山で見たくもないイケてないスライド禁止って最初っから指示してくれるから、こっちは楽しんでやれちゃって、だいぶ遊ばせてもらいました。

プレゼンスライド① 教員が想像するモンペ像(仮)うけた
プレゼンスライド②保護者は教員をこんな感じで……
プレゼンスライド③いや、そんなのだぶん空想だから

内容はしっかりやってるんですよ。ちゃんと、欲しい数値が無いかを調べてみたら、そんなデータも出てきて、直感的に感じていたことが客観的にもイケてるってなるもんだなって気づけるキッカケになったし。プレゼンってとても楽しいって再認識できたかな。

とりあえず、いったん吐き出してみることで、次のアイデアが10個ぐらい生まれてくるわけ。自分軸を客観視してから取り組んでたからブレないので、ポコポコと生えてくる。キャンプは終わったけど、これから始まるんだなってワクワクしかない状態です。あの場にいた Hero Makers が、化学反応起こしあって、何かができていく気がしてならない。「自分もやれる」って客観的に自信がもてたわけで。ここに来るまでに、出会った人たち(もちろん生徒も保護者も)、時間と場所を共有した人たち、KSBで100人カイギで話せた経験やその後のイベントを開催できたこと、全ての出会いに感謝だなって。よし、やるぞっと。

We Are Hero Makers !!!

誰に気づかせるのか

GEG Kochi のGoogle認定イノベータープログラム報告会に行ってきました。愛媛から参加された先生による高知での報告会。報告会の内容は、ちょっと置いといて、ふと思ったことをいくつか。

地方こそICTを

これ、ホントに感じています。物理的な距離を無効かできるツールであるのに、使えない状況が多いわけで。先日、都内の某社で行われた Maker教育やSTEAM教育の交流会に行ってきたんですが、そこでも同じことを言われました。なぜ、地方の学校こそ使わないのだと。

使う必要性を認知できていない

これは、地方と都市部を行き来して感じてきていることですが、地方だとPC使えなくても仕事できちゃうケースが多いんですよね。都市部だと使えないと仕事できない人扱いされますので。何をするにしてもPCスキルは必要……というよりもスライド作ってプレゼンすることはどこかで必要に迫られることなんだろうなと。地方はできなくても大丈夫案件が多い。だから使う必要性をいまだ認知できずの環境なのかなと。

生徒の周囲環境として、PC使える人(素早くタイピングできるとか、簡易資料を素早く作成できるレベルのことです)がフツーにいるのか、珍しい存在であるのか。そのあたりは、見えてない環境差なのかと感じています。「あー、あれフツーに便利に使えるし、簡単じゃないか」と思える環境なのか「特殊な人が使っている珍しいものではないか」と誤認してしまう環境なのか。

だからこそ「怖い」と感じる

都市部の人は使ってフツーなんですよ。そこから先に、何ができるかの世の中です。目に見えない部分で「ひのきの棒」を装備してるのか「はがねの剣」を装備しているのかの違いが出ている気がしてます。装備が見えていないから成績が同じように見えても、ステータスのパラメーターが違ってたりするんじゃないかと。全力出して成績が同じぐらいに見えてんだけど、実は相手は6割ぐらいの力しか出してなかった成績と比較してたような感じで。しかし、そこに気づいていないのではなかろうかと。先生も生徒たちも。ここはエビデンス見つけたいところだけど。

学校は誰のもの?

ある参加者が「学校は、生徒が顧客で、先生がそこに属する労働者」という視点を投げかけてくれたときに、自分のスタンスが生徒の方ばかり向いていたので、ちょっと立ち止まって考えています。学校の枠組みで考えるとき、誰の方向へアプローチする選択肢があるのかと。

会社は、出資者(株主)がいて、それに対しては成果を見せないといけない。利益という成果であれば、顧客から売り上げを、労働者は工夫して利益率を。簡単にいうとこんな感じになるのかな。

学校だと、顧客は生徒(もしくは保護者)であり、労働者は教職員、出資者は誰になるんですかね。公立だと自治体、私立は理事会か。

学校の枠組みで考えると、登場するのは「生徒(保護者)」「教職員」「自治体(=地域の人)・理事会」ぐらいに分けられるのかなと。

ということは、ICTが必要であることを気づかせるためには、これらの人たちにそれぞれアプローチをする必要があるのかもしれないなと。ボクの中では、生徒が気づいていない環境差に危機感を持っていたんですが、環境を変えるためにはそこに関係する人々がそれぞれ認知しないと難しいのかなと。

フツーの人がフツーにPCを

PCの裏側を開けてこつこつパーツを差し込んだりするのがPCを使える人ではなくて、誰でもがPCを使っていいんだよになる必要がありそうだなと。ボクみたいにPC使って当たり前の都市からきて、PCが好きで興味ありすぎさんが「便利ですよ」といってもイカンのかもしれないですね。なんか面倒くさいし回り道のようだけど、急がば周れなのかもなと。。。地方だとスマホの方が入り口としては早いのかもしれないですね。

社会との接点を

高校生が進路選択するうえで、多くの社会人から話を聞けないことがとても不思議なことだと感じていました。また、学校の中で教員になりたいって言われても、進路選択ぐらいしか伝えない感じも変だなと。どの大人にだって、社会に出るまでの道筋にはたくさんの心の揺れなどがあるはずなのに、話してもらえる機会もないし、アドバイス的なものもなく、機会損失してるんじゃないのかなと。

さらには、地方に行くほど、会える大人の数やヴァリエーションも少なく、意図的に話す場が必要なんだろうなと。そんなことを思っていたときに、前回のイベント同様に、KSBさんから機会をいただき、高校生と社会人が話す場を設けました。

高校生はちゃんと対話できる

やりたいことを各自が紹介し、高校生たちの意図をくみながら、彼らがホントにしたいことはなんだろうかと掘り下げていく対話をしました。「小説家になりたい」のであれば、「その背景には何があるのか」や「実際に書いてみて投稿するツールがある」とか「表現をして稼ぐには」とか学校の中では得られない視点づくりをする形です。彼らが言葉にしているなりたいものなのかを、本当にそうなのか、狭い範囲で絞りこむのではなく広げていければいいなということを意識して場の設計をしていました。「やりたいことの幅がひろがった」っていう感想が上がっていたので、来てくれた高校生たちにはよかったんだろうなと。

学校で言えば先生世代の大人側がやさしく対話してくれることや、みんなのやりたいことを受け入れてくれることを経験することで、どんどん打ち解けて話していく様子を見ると、「場」を設けるだけで彼らは成長するんだろうなという感覚は得られました。感覚でしかないので、こういったことのエビデンスとか取っていくといいのかもしれないですね。

http://htus.jp/2019/08/ksb-high-school-talk-day/?fbclid=IwAR2ERoOro2jNO9hKxn82N1OYtGCZH-2QjiXXaOIdVB62kg8A0RwO-8J3HgA

学校ではない場に高校生を集めるには

学校ではない場に高校生(中学生でもいいんですが)に来てもらう部分での設計が難しいですね。特に地方だと彼らが動ける範囲が限られていて、蔦屋書店に初めて来たみたいな感じの意見もあったなと。大人も彼らも一緒に気軽に対話できる場の環境設定は今回のイベントでできそうだなとも思えたんですが、どうやったら集まってもらえるのかは考える必要がありそうです。学校ではない場にこだわるのは、気負わずに自由に話せる環境を提供したいということもあるので、そのあたりもう少し考えないとですね。何かいいアイデア浮かべばいいのですが…

教員だってただの人

また、更新に間を空けてしまいました。

文章化をすることをしないといけないと生徒たちに言いつつも、自分が手抜きをしてしまうので、よくないなと……まずは自分で実践いたします。書く時間を決めちゃえばいいだけなんだろうけど。

イベントのコーディネーターを依頼されていました

という、保護者と教職員が気軽に話せる場をコーディネートする役割をさせてもらいました。保護者との対話が教員には少ないと感じていて、面談や懇親会の場で、話さなきゃいけないことに追われて話す機会しかなく……担任ではないと保護者と話すことないですし、でも、ホントは自由に教育について意見交換していいと思うんですよね。子どものために。

いま、教育が変わろうとしているときに、保護者の方にきちんとお話することができていない。ホントはこうしたらいいんじゃないかと思っているけど保護者の方の意見をざっくばらんに聞くことが教員側もできていない。お互いに形式的なコミュニケーションで消化不良なのではないかと感じていて、これを解消するために、少しでも歩み寄って話す場ができるのではないかということから、この会の開催となりました。

いろいろと反応が

学校の枠を越えて教職員側も何名か集まっていただけ、いろんな様子を保護者側に伝えることができたんだろうと感じています。先生側の悩みだったり、保護者サイドの問題点や教員サイドの問題点が浮き上がってきたり、解決にはならないけど、こうして共有化することで、解決の糸口をつくるキッカケにはなるんじゃないかと感じました。

担任の在り方については厳しめな意見もあって、これって誰得な制度なのかと考えさせられることも。「あたり・はずれ」となってしまうのは、担任を決めてしまうからであり、担任を決めることにより、 「あたり・はずれ」 が付きまとうことをわかっていながら学校は何故してしまうんだろうか……多様化している社会において、1人の教員が見守りきれる問題を越えているんじゃないのか。そういった事例を聞くと、考え直さないといけないのではと心から思うわけです。

多くの学校の中では「担任を持つことで教員としての成長が」という意見をチラホラ耳にします。その部分は否定しません。(自分は企業での与えられた役割で成長したことを実感していますし、学校で担任したときも生徒に成長させられた実感は強くあります)ただし、On the Job Training と言うよりも任せっきりであることも少なくないので、生徒をまとめる部分での力量が届いていない教員が、単純に「はずれ」評価になってしまうのは、教育機関としてどうなんだろうかと。保護者側も言いたくないけど「はずれ」と表現せざるを得ない場合にあったときは、どーしよーもなく無力なのだと。だから「はずれ」という表現になってしまう。教員側も保護者側もわかっているはずなのに、言えないし、歩み寄れない不思議な部分だなと。チームで多くの生徒を見守る形に変えることで、お互いが、win-winになれるんだという感触を得られました。わたしみたいな「緩衝材」的な役割が学校に必要なのでは?と保護者側から言われたことは素直にうれしかったですね。クッションとかバッファとか、そんなイメージなんだろうか。

取材もされ……

読売新聞さんから前日に取材依頼があり、地方面の「うちのセンセイ」に記事を掲載したいとのこと。子どもと社会をつなぐというフレーズで紹介していただきました。記事(文章)にしてもらうと、また違った側面から自分を見ることができますね。「生徒や保護者の悩みを聞き、一緒に学んでいける教師でありたい」は言い続けている気がします。学びの主体は生徒であり、それを支えるのが保護者であると思っているし、教員ができることは限られているのだと。その限られた中でしか動けない中で、できることを見つけることが教員として必要なんだと。教員だって、ただの人です。保護者な立場もあります。その中で、できることをすることが仕事だと。そうやって言葉にすることで、ちゃんとやるべきことが見えてくるはずだと。

教育の場にフツーの感覚を

数年前、右寄りの方々が教育会を賑わせておりました。 教育会といえば、左寄りの方々が多い世界でもありまして、 教育学部に進学する際に、引っかかっていた部分です。ボクとしては「どっちがいいとかではなくて、どっちの思想も押し付けてこないでください……」

教育の場を思想の押し付け合いになることに対して疑問に感じていたんですが、
ちょっとまとまった考えが思い浮かんだので、別のところにメモにしていたことを改めて書き起こします。

どちらの方々にも不快さを感じる

主義思想を全面に押し出そうとする人たちって、押し付けようとするんです。「国歌斉唱する際は起立して、歌うんじゃー」とか 「国歌なんてクソくらえ。起立もしないし歌わんぞー」とか 極端な方々がいらしゃって正直迷惑に感じています。 「まぁ国歌だし、ここはちょっと立って歌っておくか」とかぐらいじゃダメですかね。 礼儀として起立ぐらいはしておいたほうが人間としてまともかなと思うから立つわけで、 国歌だから口ずさんでおこうかなぐらいのテンションですけど。

カナダに研修旅行で行った際に、 アイスホッケーを観戦したんですが、試合前に国歌斉唱があったんです。アメリカとカナダの両国歌の。 観客全員総立ちで、静かに聞いていました。アメリカの国歌でも立って聞いています。カナダの国歌は口ずさんでいます。人それぞれの声の大きさですけど。

この様子がグローバルスタンダードじゃないのかなと。

「君が代は国歌として認めない!起立などしない!」とか思想を振りかざす人がいますし、 「君が代は国歌じゃ、歌わんと認めん!」と逆側の思想を振りかざす人もおりますが、 外交上どうやらNational Anthemが必要になって、経緯はどうあれ150年ほどそれっぽく歌い続けているんですから、まぁ、形式上歌っておけばよくないですか?

で、National Anthemは流れる際は、起立ってのが好ましいので、それに従うという 国際基準に則っていまーす。程度です。庶民は。思想振りかざして国歌斉唱の際に起立しないのって、国際基準としては失礼な振る舞いですので、教育界の方々は、それを子どもに伝えることの意味を理解してもらいたい。かといって、起立しているからといって、全て信じている訳でもないですから、その辺も理解しておいて欲しいですね。「別にどちらの思想を受けとる訳でもないですし、そんな深いことまで子どもは考えとりゃしません」程度ですって。サッカーの日本代表戦での国歌斉唱を眺めながら、左右の主義思想など考えてる方はどちらも少数派ですから。

必要なのは食える力だって

教員やってて感じるのは、どちらの思想の方々も、「教師=仕事 」の感覚が欠如していませんかと。まぁ、思想の伝道師ですから、仕事って捉えてないんでしょうけど。あと、授業のことばっかり考える人もいるし,生徒指導だったり部活熱というベクトルに向きすぎてしまっている人もたくさん。

理想を振りかざしても、多くの子どもたちのミライには、ある程度の収入は必要なんですよ。理想論ばかり言ってても生きていけないの。稼がなきゃ生きていけないんです。たくさんお金稼ぐでもいいし、お金はちょっとでいいから楽しく人生歩みたいでもいいし、サヴァイブしていかなきゃいけない時代になってんだから、子どもにその力を個々が身につけられる場の設定が最優先じゃないのか?って。どんな生活したくて、それにはどんなことが必要で、だから何を学んでいかなきゃいけないのかをきちんと考えさせないと。

安くても儲けられる工夫があるから店は成立するわけで

そんなことを伝えるために振り返りましょう。教師は職業であり仕事ですと。その教師をしていて得られる給与はどこから出てるのか。何と引き換えに給与を得ているのか。どのような雇用関係を結んでいるのか。きちんと述べられる教員ってたぶん多くない。

教師も自ら仕事に対して対価を得ることにきちんと向き合うべきだし、収入はどこから得られているのか理解して、どんな財政状況か、収支バランスは問題ないのか、などなど。社会に出て働かないといけない子どもたちに、きちんとオトナとして理解してから発言しましょうよと。

あまりにも学校という社会が世の中の普通からかけ離れてしまっていて。そこに、両極の思想村の住人が最後のお花畑として狙っているのかもしれません。きっと、この住人たちはICTが迷惑なんです。だって外の世界とつながっちゃって意見をもっちゃうから。だから、両極の思想村の住人はそこだけは共通して断固反対とかになるのかも。子どもを食い物にしようとするのはやめて欲しいですね。彼らの生きていく術を見つけるのが教育の場ですって。 子どもと真摯に向き合いませんか。彼らの話を聞いて、オトナもきちんと伝えて、対話するのが、本来の姿ではないでしょうかと。。。

内向きにならないために

教員をしてるんですけど、外のイベントにドンドン足を運んでいます。外の学びの世界を肌で感じておかないとってのもあるんですけど、外とのつながりだったり、場を持つことが教員にとって大切やと思っているのです。

外に出て、いろんな人に出会い、名刺交換とかしますけど、最近の自己紹介は「たぶん先生」です。1人の人間として社会に出て交流をして、次の世代にできることは何だろうってアプローチしたくって活動していて、そんなボクの職場が学校なだけなので、「たぶん先生」

意見をアウトプットし続ける

もうすぐ不惑が見えてきて、これまでのことを振り返ってみると、大学を卒業して、学校の時間講師やって並行して予備校講師やっていた。そのあと教育企業で働いて、移住して、ひょんなことから学校に戻ってきて。。。と、教育に長いこと携わってきたわけで。

移住してみたら、地方と都市部との教育格差を感じちゃって、会社で働いてた経験があるから、社会と学校教育をつなぐ架け橋になれるだろうってことが文章をこうやって書いている衝動でもあります。文章を書いておかないと、腕が錆びるし、頭の整理ができないこともありますので。

せっかく社会人していた人間が教員やっているので、その視点から教育についてや、教員としては珍しい人種の理系教員の視点、受験に直結はしないけど役に立つであろう勉強方法など‥‥‥なんてことを文章化することをトレーニングしておかないといけないって感じているのです。

教員だからって内向きにならない

メディアを持っていることって大事ですね。って、教員を再開して感じてます。子どもたちの方がメディア(SNSやらYouTubeやらなんかしらのアカウント)を持っていて発表したり、コメントしたり、なんらか外向きに発言したりしてますし。ただ、教員ってそれをいいと思ってないんですよね。きっと。自分がやってもいないのに・・・バズることの難しさを知らない。間違うこともあるんだろうけど、それ以上に得るものもあると感じてます。外に出て、話す。外向きに、意見を述べる。賛同してくれる人たちと出会う。子どもたちが未来のためにしておくべきことの1つではないかと。

遠くを見れば、いろんなものが見えてくる

というわけで、しばらく沈黙してたんですが、インプットに注力してたので、またコツコツを書き溜めてまいります。

学びには「場」が大事

ふとしたことから、Life is Tech! と高知家のコラボITプログラミングキャンプの発表会の場を見学させてもらいました。あらためて、感じたのは学びには「場」が大事だと。

Life is Tech! って?

IT教育プログラムを提供している企業で、老舗。全国各地で、キャンプを主催していたり、企業とのコラボレーションに力を入れています。

https://life-is-tech.com/

教員向けプログラムも開催しているので、ちょっと興味があります。(が、今年はスケジュールが合わないな・・・)

プログラミングってハードルが高そう

そのあたりも工夫されていて、場づくりが圧巻でした。前で話す進行役に対して周りの学生(メンター)がガヤを入れたり、ツッコミを入れたりして、場が和みます。子どもたちの表情が柔らかくなり、発話しやすい雰囲気。子どもたちのいいところを最大限に引き出そうという工夫が随所に見られます。だからプログラミング初体験でも、積極的に取り組んでいけるんだろうなと。

プログラミングが取り入れられた目的ってのは、プログラミング的思考を大切にするんだと言われておりますが、それに加えて「自分で作ったものだからこそ、自信をもって他人に紹介ができる」ってところにあるんじゃないかと感じます。うちの息子くんもプログラミング教室に通っていますが、発表する際に、「こうしたらもっとよくなりそう」って改善する視点を入れていて、学びたいって姿勢をとても感じます。

学ぶ「場」を設計して見守ることの大切さ

大人がプログラミングのことわかってなくていいんですよ。きっと。どっちかっていうと、子どもがアウトプットする場を定めて、「すごいねー」と聞いてあげることなんじゃないかと。

https://www.ted.com/talks/sugata_mitra_build_a_school_in_the_cloud?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

今回、見学をしていた時に、Sugata MitraのTEDスピーチを思い出しました。PCを路上にセットしておくだけで、子どもたちが触って学んでって姿から、励ますことの大切さを語っています。そんな彼のスピーチの中で

The teacher sets the process in motion and then she stands back in awe and watches as learning happens.

と伝えているところがあります。学習が起こるのを待つことで、加速度的に子どもたちが学び始めることを設計しないといけないんだろうなと。そして、ジャマしないように、場の設計をして待つことが教師としての役割なんだろうなと。。。

現代版単語帳Quizlet

仕事が立て込んでいて、文章を書く気にならず、ほったらかしになっていました。書かなきゃいけないと感じる教育ネタが出てきましたので、書き残しておきます。

スマホを勉強のツールに

「スマホ = ゲーム or SNS」 って教育現場界隈では悪者扱いされがちですが、それって使ったことない人(教育関係者)が言うんですよね。あと、周りの大人。ちゃんと使う人がいれば、そんなことないって気づいているはずなんですけど。

単語帳って、モノを覚える際に利用したことある人は少なくないと思うんですが、ICT活用すればデジタルな単語帳ツールがあるんですね。

https://quizlet.com/

Quizlet(クイズレット)です。自分で、学習セットを作成して、デジタルな単語帳をつくれるってイメージです。

理科の教員なので、元素名と元素記号の学習セットを作ってみたりしました。これを教室で投影しながら覚えているかのチェックもできます。スマホやタブレットが持ち込めるようであれば、この学習セットが共有できるので、彼らの学ぶ支援になるのですが。。。持ち込めない学校多いんでね。。。

1対1対応で選ぶクイズっぽいことも可能です。自分でテストをつくることも可能。あ、先生がクイズを出したり、テストをこれで配信したりすることも可能なんです。スマホやタブレットがあれば学びの幅は確実に広がります。。。

最近、このツールをつかって学んでいる環境を見たんですが、やっぱりいいなって感じています。道具の使い方を教えるべき学校が、持ち込ませず排除し、使ったこともないまま悪者扱いってのはどうなのかなと。異質なものの排除を率先しておこなっているのは、教育の場としてNGではないかとも。

https://mainichi.jp/articles/20190625/k00/00m/040/096000c?fbclid=IwAR2t-E9arn2YmosNih2CR0JobukvichPfp7n6Gaupc_0Iysf0aTizr_piNQ

と思っていたら、児童1人にPC1台の方針が打ち出されました。25年度までって、6年後の話なんで、そのころには、もっと学校がテクノロジーの置き去りにされている可能性が。Hey Siri とか OK google とか6年前はなかったですからねぇ。世の中ではフツーに使われてるのに。。。

とはいえ、方針が打ち出されたので、重たい腰が少しは浮き上がることを祈りながら、現場からもICTの活用の仕方を生徒と考えていけるようにしなければと思うわけでした。