学校における携帯電話の取扱い等について(2009年の通達)

先日知った、2009年の文科省の通達

こんなものがあるんですね。以下引用

1.学校における携帯電話の取扱いについて
学校及び教育委員会においては、学校における携帯電話の取扱いに関して、各学校や地域の実態を踏まえた上で、次に示す指針に沿って、基本的な指導方針を定め、児童生徒及び保護者に周知するとともに、児童生徒へ指導を行っていくこと。
指導方針の作成及び実施に当たっては、あらかじめ児童生徒や保護者等に対し、指導方針と併せて携帯電話の学校への持込みの問題点について周知を行うなど、学校の取組に対する理解を得つつ、協力体制を構築すること。
(1)小学校及び中学校
1 携帯電話は、学校における教育活動に直接必要のない物であることから、小・中学校においては、学校への児童生徒の携帯電話の持込みについては、原則禁止とすべきであること。
2 携帯電話を緊急の連絡手段とせざるを得ない場合その他やむを得ない事情も想定されることから、そのような場合には、保護者から学校長に対し、児童生徒による携帯電話の学校への持込みの許可を申請させるなど、例外的に持込みを認めることも考えられること。このような場合には、校内での使用を禁止したり、登校後に学校で一時的に預かり下校時に返却したりするなど、学校での教育活動に支障がないよう配慮すること。
(2)高等学校
1 携帯電話は、学校における教育活動に直接必要のない物であることから、授業中の生徒による携帯電話の使用を禁止したり、学校内での生徒による携帯電話の使用を一律に禁止したりするなど、学校及び地域の実態を踏まえ、学校での教育活動に支障が生じないよう校内における生徒の携帯電話の使用を制限すべきであること。
2 学校が学校及び地域の実態を踏まえて生徒による携帯電話の学校への持込みを禁止することも考えられること。

2009年時点って、スマホが出始めた段階で、まだまだスマホじゃなかったころ。2009年は、iPhone 3GSが出たころ。BlackBerryがまだまだ活躍中だったころ。LINEやらTwitterやFacebookなんてなかったころのお話です。2017年が終わろうとしている現在では、LINEやSNSは当たり前。キッズケータイも普及してる。スマートフォンどころかタブレットもたくさん出ており、PCとタブレットの差もなくなっています。携帯ゲーム機でもYouTubeは閲覧できるし、ネット接続当たり前の時代です。

マインクラフトのゲーム実況を見ながら、自分でもチャレンジするこどもがおる時代。英語の動画を見て、英語スピーチを上達させる時代。スタディーサプリに代表されるようにネットで授業を聴講できる時代。YouTubeで授業動画を見て、自ら学べる時代。Skypeで個人英会話レッスンが安価で受けられる時代ですよ。

にもかかわらず、教育の代表的な現場が2009年の通達以来、なーんにも変わっておらん公教育の環境。グローバル化?これじゃあ進みませんて。海外の意欲的な子どもたちはネットが当然のインフラとして存在し、自ら学ぼうとすれば学べることに気づき始めています。賢い日本の子どもたちもそうでしょう。そんなことに気づかない大人がイタイなぁと。

学校での教育活動に支障が生じないように持ち込んだらイケナイってのは、頭の固い人の理論であって、学校の授業でわからないことを補うデバイスとして勉強意欲を向上させるものだし、リニアに調べ物ができるインフラとして取り入れていただきたいものです。

いくら禁止したって、持っているほうが大半なんだろうし、持ち込んじゃいけないものを注意するほうが無駄な労力。持ち込ませて、使い方をきちんと伝えればいいだけじゃないかと。ゲームしたり、悪いことに利用するやつがいるってのは、大人も一緒じゃないの?と。そんなこと言ってたら、何の進歩もないのでしょう。早く学校に情報化の波を。。。

「ミライの授業」を紹介したことの紹介

約1年ほど前に、ビブリオバトル体験講座に参加した際、瀧本哲史さんの「ミライの授業」を紹介したのですが、グループで一緒になった方の評価がよかったので、文章として書き起こしておこうかと。別のサイトに書いていた内容ですが、残しておきたいので、転載しておきます。

ミライの授業
瀧本 哲史
講談社
2016-07-01

 

書評内容

瀧本哲史さんは京都大学の客員准教授であり
大学で教鞭をとりながら、エンジェル投資家としても活動しています。
「僕は君たちに武器をくばりたい」や
「武器としての決断思考」「戦略がすべて」などの著書がある。
その瀧本さんが
一番若くて可能性に満ちあふれた14歳の「きみ」に向けた著書が「ミライの授業」
この著書の冒頭はこのように始まる
「14歳のきみたちに、知ってほしいことがある。
 きみたちは、未来に生きている。
 そして大人たちは、過去を引きずって生きている。
 きみたちは未来の住人であり、大人は過去の住人なのだ。
 これは比喩ではなく、事実としてきみたちは未来に生きている。
 その理由を、簡単に説明しよう」 と
そして、厳しい現実を突きつけます
世界全体を巻き込んだ「安い人が選ばれる時代」
人間さえも必要としない「ロボットに仕事を奪われる時代」
これが、「現在進行形の未来」であり、
どう立ち向かえばいいのか、残念ながら大人たちはその答えを知らない。と
ただ、
未来にはひとつだけいいことがある
それは「未来はつくることができる」という点だ
だから
きみたちも、未来をつくる人になろう。
語り口は14歳向けではあるが、テーマの根幹は
大学生 いや、社会人に対しての講義と同じ
私が会社員だったころ(しかも30代)、瀧本先生の講演を数回拝聴しました。
講演の中では
RPGゲームでは強い勇者一人で冒険に出るのではなく、
戦士・魔法使い・僧侶といった個性豊かな仲間たちとパーティーを組んで
世界を救う旅にでるでしょ?
だから、さまざまな特徴ををもった仲間が集まってこそ冒険の旅はうまくいくんですよ
表には見えない影の存在も必要である。
周りから自分が決まる。ミッションが降ってきて、次第に形になる。
自分探しではなく、周りから自分が決まる。決める。
主人公は最初、何も出来ない。勇者には意志・運命しかない
真の目的・真の戦略は後から決まってくる
といったことや
いつになったら上司はあなたを「一人前」と認めるのでしょう?
新しい価値観や新しい世界像を、いつになったら認めるのでしょう?
コペルニクスの地動説は、彼の死後1世紀余り、ほとんど賛同者を得られないかった。
ニュートンやダーウィンのような新説もすぐに受け入れられたわけではない。
では、どのようにして認められるのか。それは「世代交代」である。
パラダイムシフトのために「世代交代」が必要であると。
新しいアイデアを上の人達が応援してくれると思うこと自体が大きな間違い
応援するのは自分の地位を脅かさない若者だけ。
でも。その向こうに真実があるのだから、人脈を作りくじけず乗り切るのだ
この重要な現在を生き抜いていくためのテーマを
14歳にむけて少し柔らかなトーンではあるが、
著書の中で伝えている
学校の教師にここまで伝えられる人はいるだろうか。
(あ、私、教師でした。反省します)
「ミライの授業」は
世界を変えた人たち生き方・考え方を紹介しながら
未来をつくる法則を教えてくれます
その法則は
法則1 世界を変えるたびは「違和感」からはじまる
法則2 冒険には「地図」が必要だ
法則3 一行の「ルール」が世界を変える
法則4 すべての冒険には「影の主役」がいる
法則5 ミライは「逆風」の向こうにある
最後に
ドイツ帝国の初代首相ビスマルクは
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
といったそうです。
「私が中学生のころは、○○だった」
というような、経験を振りかざす教師から学びますか?
それとも、
新しいことを成し遂げた人の歴史から学びますか?
優しくない世の中を生きなければいけない
生徒のみなさんに、この本を読んで、
自分のミライを手にする力をつけてもらいたい。

と、ここまで紹介できればと思っていましたが、半分ぐらいだったかもしれません。中学生や高校生で十分読める内容ですので、手に取ってもらいたいですし、家族の方が買って強制的に読ませてもいい内容ではなかろうかと。というか親御さんも読むといいのですが。(教員にもゼヒ読んでもらいたいですけどね)

仕事で行き詰った時に、この本を読み返して、中年に差し掛かったわたしが教育について考えるとき、過去の住人であるわたしたち大人が未来の住人である子どもたちに何かできることは少ないものだと自省するようにしています。そして、「何もできないんだから、大きなミライ像をどれだけ紹介できるのか」だけでも、教育に携わるんだからやっていければいいのかなと子どもに対しての謙虚さを持たなきゃなと改めて思うのです。

首都圏で生活していたときに、実際に瀧本さんの講演を聞きましたが、話の筋が一貫しており、こういう考え方のスタンスを教育に関わるものが忘れちゃいかんなと。その時にいただいたサインの一言は大切にしております。

やるのは自分。

リーディングスキル

中高生の多くに読解力懸念

主語と述語の関係といった「係り受け」など、文章の基本的な構造を理解できていない中高生が多くいるとみられることが、国立情報学研究所の新井紀子教授らの研究チームによる調査で27日までに分かった。新井教授は「読解力が不十分だと社会生活を送る上でも大きな影響が出る」と懸念している。

こんな記事が目に留まったので、ちょっと感じたことメモ書きしておきます。

文章を読めないことの厳しさ

わたし、中学受験をしたので、小学生のころから問題文を読むことに慣れていました。10行程度の文章を読んで答えることに対して、苦労したことがなかったので、いままで気づかなかったのかもしれないですが、文章を読むことに対して抵抗を感じないことがアドバンテージになるものだと。

というのも、

「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアに主に広がっている」
問:この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい
「オセアニアに広がっているのは(  )である」
(1)ヒンドゥー教 (2)キリスト教 (3)イスラム教 (4)仏教

 

という問題。中学校の教科書に書かれている文章からつくられた問題ですが、正解のキリスト教を選べた中学生は62%。

「Alexは男性にも女性にも使われる名前で女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある」
問:この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい
「Alexandraの愛称は(  )である」
(1)Alex (2)Alexander (3)男性 (4)女性

正解のAlexを選べたのは38%。

本を読むことは苦手でしたが、問題を読んだり、理科的な冊子を読むのは好きだったので、文章を読むことに対しては苦手ではなかったので、生徒が問題や教科書の内容を理解できないというのはどういう状態なのかわからんなと思っていましたが、読み取れないことが問題なのかもしれないですね。

とくに、

「アミラーゼという酵素はグルコースがつながってできたデンプンを分解するが、同じグルコースからできていても、形が違うセルロースは分解できない。」
問:この文脈において、以下の文中の空欄にあてはまる最も適当なものを選択肢のうちから1つ選びなさい
「セルロースは(  )と形が違う」
(1)デンプン (2)アミラーゼ (3)グルコース (4)酵素

正解のデンプンを選べたのは公立高校生でも33%。公立中学生だと9%。

と、高校生の教科書内容ではありますが、専門用語的なものが入ると、より読みとれなくなってしまうようです。詳しいデータはこちらで紹介されています。

ここから、たどり着くのは、問題が解けないのは、覚える覚えないのではなく、「読める読めないの差から生じる」ということ。

センター試験はマーク方式で覚えるだけの知識ではこれからの社会をうんぬんかんぬん・・・と言われ、2020年度から別の試験方式に変更されますが、より一層できる子とできない子の差がはっきりと分けられるように感じていました。現行のセンター試験であっても、生物の試験なんか、データをじっくり読み取って、選択肢の日本語文章と合致しているかを判断できるかがカギになります。(生物は暗記科目とか言われたら、大きな間違いで、暗記したうえで日本語読めなきゃはじまらない教科です)

アクティブラーニングや主体的な学びとか、教育改革として叫ばれていますが、なんかピンとこないとろこもあったのです。それは、文章が読める子どもたちにとっては、それらの手法は間違ってはいない。が、文章が正確に読み取れない子どもたちにとっては、埋めがたい差を作ってしまうのではないだろうかと。読む力さえあれば、学び直しもできるでしょうが、想像よりも日本語を読めない日本人が増えているのかもしれないです。

わたし、高校理科の授業をするときは、書かれていることが300年前の世界では最先端技術のことなんだから、かみ砕いて伝えないと、10代の子どもには伝わらなくても不思議ではないよなというスタンスで取り組んでいます。だからいつも変なことを言ってると思われるんだろうか。

Ozobotプログラミング教室の体験

NPO法人SOMAの活動拠点「あこ」で小学生向けプログラミング教室を行うということで、ゲーム大好きプログラミングに興味ありの息子を連れて、参加してきました。

プログラミング教育って

2020年度より小学校におけるプログラミング教育が必修化されようとしています。といっても、プログラミング言語を覚えるのが目的ではないし、正確なプログラミングの組み方を学ぶ訳ではなく、論理的な考えを積み上げることが本来の目的です。といっても、私が高校生の時には数学にBASIC言語があり、授業では扱われなかったですが、あれも立派な論理的な思考を積み上げる科目だったのですが、いつの間にか消えてしまいましたが。。。

Ozobot

今回のプログラミング教室は、Ozobotという小さなロボットを利用したものでした。

パソコンやタブレットがなくても、紙と線があればプログラミングが可能な工夫がされていて、そこから導入が始まれば、プログラミング=パソコン的な発想から脱却できるかもしれないなと感じました。

色の組み合わせで命令して、その通りにロボットが動くので、こういうことがプログラミングの本質なんだと理解できる工夫がされていてよかったです。幼児でもやり方次第では理解できるので、とってもいい教材だなと。小学校低学年の息子もペンとシールを駆使して、いろんな動きを作り出していて楽しんでいました。

が、タブレットを使ったプログラミングもやってみたいと言うので、ちょっと無理をいって高学年向けのプログラミング教室にも飛び入り参加させてもらいました。

ブロックを組み合わせたプログラミング

ブロックを組み合わせたプログラミングといえばSCRATCHが有名です。画面上で動かせ、無料で配布されているので利用しやすいプログラミング教材ではあります。今回のOzobotもSCRATCHと同じような形で、ブロックを組み合わせたプログラミングを作成し、ロボットに読み込ませて動かすことも可能です。

SCRATCHと違って、目の前にある実物がプログラミング通り動く楽しさがありますね。子どもたちの食いつきが半端ない。息子もどっぷり集中して合計2時間半取り組んでいました。

Amazonでも購入可能のようですので、興味のある感度の高い保護者の方はお子様に進めてみてはいかがでしょうか。教室に通わせるなんてもったいないです。教材を与えて適度にやらせていたら、子どもは大人の理解をどんどん飛び越え予想しない速さで吸収してしまいます。大人から見たら必要にないコマンドを組み込みます。息子は必ず自分なりのアレンジとして意図的に「とても速く進む」プログラムを組み入れていました。どうして?と尋ねたら「ロボットが素早く動いて作ったプログラムが正しいか間違っているかを待つ時間が短縮できる」だそうで。「ほー」と感心しながらも、小学校の現場だったらスルーされるか摘み取られやしないかと少し不安にもなりました。プログラミングって正解は1つじゃないし、自由な発想でチャレンジするものだということを教育現場が飲み込めるかが課題になりそうですね。

 

起業体験と企業体験と学校の学びのあり方

KOCHI STARTUP PARKの起業サロンに参加してきたので、そこから教育に関わる者として感じたことについて書いておくことに。

ビジネスパーソン同士の交流の必要性

ビジネスをはじめるまでの要点箇所を総体験!「起業体験ワークショップ」ということで、参加してきました。企業自体が少なく、これといった大企業がないのが高知の特徴でもあるのですが、社会人教育の場面として、こうした社会人向け(学生でもいいんだけど)ワークショップの場があること自体が、都心で社会人をしていたものとしては非常にありがたいものだと感じます。理由としては、「他の団体に所属する社会人と出会って対話できる」から。ここでいう「対話」というのは、議論とは異なるもので、

「議論」=<雰囲気:緊迫したムード>+<話の中身:真剣>

「対話」=<雰囲気:自由なムード>+<話の中身:真剣>

「雑談」=<雰囲気:自由なムード>+<話の中身:たわむれ>

ご機嫌な職場 酒井穣著 東洋経済新報社から引用

であり、高知県人の県民性から対話ができるのだが、その場が多くないように感じていた。自分が起業をするのかは不確定な部分も多いが、このような場で脳みそのストレッチすることは仕事を進めていく上では必要なものだから。ぜひとも、高校生や大学生は起業するしないに関わらず、こういった場に足を運んでもらいたい。受験勉強だとかで時間を浪費するよりも、有意義な時間の投資であるし、高知県のいいところとして、こういった場に高校生(いや中学生)でも参加することは誰も拒んだりしないので。

起業体験と企業での体験

都心部の大きな企業でサラリーマンしていたので、起業とは無縁と思っていたんですが、企業内での新規事業・新規コンテンツの立ち上げなんかにとても良く似たものでした。新しい価値を生み出そうとするときに検討する手法として、KJ法だったりリーンキャンバスだったり、行うフレームは大体同じ。今回ワークショップでは触れていなかったですが資金調達方法は起業の場合どこから引っ張ってくるのかが問題になりますが、企業内でも思考方法は同じようなものになるんだなと、体感できたことは大きかったことです。子どもたち世代は「起業なんてしないから関係ない」と思ってしまうかもしれませんが、彼らの生きていく世の中には0から1の価値を生み出す必要があるし、それは会社勤めをしても必ず必要になってくるものだったし、僕自身が振り返っても、こういった体験しておいたら、会社勤めも違う視点から見れたかもなと。といわけで、ぜひ中学高校生ぐらいから、こういった経験に触れてみるのがいいかなと。何度も言いますが、高知の県民性として、それを拒むことはないだろうから。

高校生が中心になってやっているビジネスコンテストみたいなのがありますが、リアルな大人と触れることがとても大事。高校生だけの小さな世界ではなく、リアルな大人に接して、世の中の不合理なこと、自分の世界観がとても狭いことを肌で感じる必要もあるので。その場にいてみないとわからないことたくさんあります。

成功の80%はその場に姿を現すことだ。 ウディ・アレン

また、より思ったのは、こういう場に教員的な人がほぼいないこと。社会で働くということがどういうことかもわからないまま進路指導するのって、やっぱり難しいだろうと感じるし、見当違いなことを生徒に伝えているかもって不安になるわけで。様式美や決まった正答が求められているわけではなく、「あなたの考え」を求められる時代になっていることに対して、アンテナの感度を高くしておかないと次世代の子どもたちにマイナスの影響しかないと改めて感じている。

とさエデュをリアルな場として設置するなら、こういった学校教育の呪縛を取り除く新しい学びのスペースとして開設してもいいかなとも。まずは個人的なサポートかな。

トイレの使い方を教えるのが教員の仕事なのでしょうか

ネットニュースで気になった記事。

和式なお5割以上 教育的観点から残す所も(毎日新聞)

文部科学省が16年に初めて公表した公立小中学校のトイレ実態調査によると、洋式化率は43.3%。内閣府が同年まとめたガイドラインでは、避難所になる学校のトイレは改修や新設時に節水型の洋式便器にするよう推奨している。ただ、「水をまいてブラシでこすればよい和式便器は掃除がしやすい」と、あえて和式を残す学校もあるという。

学校のトイレってなんで和式なんですかね。

地方に来たからなのか、より強く感じます。学校トイレ環境に恵まれていたので、小学校から中学・高校にかけて洋式トイレがあったので、好んで選んでいました。息子の小学校には和式トイレが。トイレ用のサンダルとかあるし。あれ、逆に不衛生。廊下が汚れるとかいう意見の方がおりますが、トイレに入ろうが入るまいが廊下は汚いです。そんなことよりも、トイレサンダルからの感染症リスクの方が大きいです。和式トイレを使う子どもたちを考えたら、床に手をつく確率は低くなく、トイレの床を触った手で、トイレの水道蛇口に触れて、その手が学校の机や壁を触っていると思ったら、トイレサンダル問題よりも和式トイレ問題のほうが衛生上好ましくないと想像できそうですけど。。。

学校の先生がトイレの使い方を教えるものなのか?

家の環境で、洋式トイレ化が進む中で、学校のトイレは

和式の使い方を覚えてもらう教育的観点から残す

とか、とてもやめていただきたい。教員免許状を持つものとして、言いたい。和式トイレの利用法を教えるために単位取得した訳じゃない。本当に教育的観点で必要だと思ってるなら、プライベートでやっておくれ。プライベートでできないことを学校の教員に押し付けたらアカンと。20代の先生方なんて、洋式トイレで育った世代だろうから、どんな気持ちで和式トイレの利用法を伝えたらいるんだろうか。「なにやってんだろう?」って思いながら取り組んでる先生って多いんじゃないかなと想像するし、それを見抜いている子どもがたくさんいてるはず。

学校(というか行政)も、時代錯誤な和式トイレとか予算をつけて撤廃して、洋式トイレ化を進めていただきたい。水道の前に「節水」とかデカデカと書きながら、多量の水を出して流す和式トイレの保持。そして水を撒いてブラシでこする掃除。全然節水じゃない。ちゃんとしようよ。いまの洋式トイレは節水が進んでいますから。

和式トイレの掃除が簡単?!

和式トイレの掃除が簡単ですって?見慣れてもいない和式トイレの掃除ですよ。やりたいですか?さらには、和式トイレは的を外す確率が高いのですよ。飛び散る率も高確率です。的を外された汚れ和式トイレの掃除を誰が好んでやるのですか?洋式トイレの的はあまり外れませんが、慣れない和式トイレで的を外された事故物件を掃除する側としては辛いものがありますよ。的を外されたトイレの掃除はそれこそ大量の水をまいて大掃除。節水とは正反対。

トイレの1つをとっても、教育現場ってなんかチグハグだなと。。。

微分と積分と物理学と

微分・積分って高校数学であるんですけど。。。

Newtonライト 微積のきほん

このムック本を読んでみると数学の必要性がなんとなく理解できる。算数ではなく、数学と変化する意味について、そういえば聞いたことないのかも。理科の教員免許は所持しているので、物理学を教える際には、関数の考え方の大切さには触れるけど。数学でも計算に偏るんじゃなくて、実際の生活の中で使える感覚を持てるような仕掛けがあってもいいなと感じる。

現実と過去を理解した上で、将来の予測を立てるのには数学的な感覚が必要であるし、それが直線的な変化ではなく、曲線的な変化であっても将来が予測できる工夫が微分積分にはあるんですよみたいな。

実際に計算ができなくても、ゼロに近い値を無視して近似を取るとか、積み重ねていけばこれぐらいの値になるであろうとか、計算ではない感覚的なものを学べる機会ってなかったのかもなと。自分で教科書に書かれていることに対して妄想するチャンスがあったから、理解できたのかもしれないなと。

サイエンスを教える立場になって、生徒が数学や物理学、科学全般に苦手意識を持つのって、「計算」がわからないって理由がほとんどで、概念的な理解ができないって訳ではないように思う。計算ができればいろんな視野が広がるけれども、多くの人間にとって計算自体はそれほど重要なわけじゃなく、なんでそんなことを考えるようになったのかと、学問の本質に触れる機会って必要なんじゃないのかなと。

数学と物理学は切っても切れない仲なので、中学や高校でもリンクさせながら教科を進めていければ、もっと幅広く生徒は学べる機会を得られるんじゃないのかなと。

微分積分につまづいている高校生や、そんな高校生をもつ保護者の方、「私文系人間なんで」と理系をあきらめちゃっている方も、Newtonライト 微積のきほんはおススメです。微積の考え方は案外難しいものではないので。計算自体はめんどくさいですけど。

足し算の考え方に自由度を

1年ぐらい前に息子との会話で感じた小学校の算数教育への違和感を転記

繰り上がりの足し算

9+3=?

といった問題を出されたときに、息子くんは「9は10から1少ないから、3から1を引いて 12になる」という計算思考をするようです。

が、先生は「3は1と2に分けられて、その1と9を足して10にして、2を足して12」といった感じで教えているようです。 それをノートに書かないといけないそうで、息子にとっては面倒くさいんだとか。(といっても、きちんとノートに書いているんですけどね。そのあたりは面倒くさいとやらないと決め込むワタシとは違うなぁとも)

で、どっちでもいいんじゃないのかと高校教員(小学校の免許状持ち)としては思うわけです。数学教員ではないですが、高校数学程度は頭に入っていますし、計算の工夫の必要さは数学では必須。3=1+2であることや、10=9-1であることを小学生ころから、認識しておくことが必要だと思うのですが。。。うーん。

まぁ、息子くんは算数が好きなようで、彼はルールに縛られない自由な計算方法を日々編み出している様子なので、それを伸ばしてくれればいいのですが。一抹の不安が。。。

2ケタ同士の足し算

38+25=?

とか、お風呂場の中で聞いてみたわけです。小学校の算数では一桁から足して。。。繰り上がって。。。と答えに導くのでしょうが、彼はブツブツ言いながら「63」と答えるわけです。筆算とかしてないで暗算なご様子。

どうやって計算をしたのか聞いてみると、「3と2を足して5。8と5を足して13。だから63」なんだとか。ワタシは「その方法は自分がなかなかできなかった解き方で、なんだ本当に賢いのか」と親バカモード全開になりつつ、大人からやり方を強要されることで、閉ざされる能力ってもんがあるんだろうなと改めて感じました。他にも何題か出してみましたが、同じような計算方法をしていると説明してくれました。

等差数列の和の考え方

1+2+3+4+5+6+7+8+9=?

と息子から聞かれまして、大人げなく「45」と即答してしまったのですが、彼も答えがわかっていたようなので、これまた「どうやって計算したのか」と問うてみました。
彼は「1と9で10、2と8で10、3と7で10、4と6で10、残りが5、だから45」だそうで。等差数列の和の出し方的な考えも1年生で、できてしまうもんなのだなと。この思考プロセスって何度かやり取りしていくうちに、定着していくもんなんでしょうかね。一切そんなこと教えたこともなかったので、ちょっとビックリしました。

計算よりもプロセス

計算方法なんて、できちゃう子にはどーでもいい気がします。ワタシは計算が速かったので愚直に解く(ミスもたくさんする)タイプでしたが、息子くんは自分の方法でやらなきゃ気が済まない(ちょいちょいミスをする)タイプのようです。答えを正確に出すことも必要ですが、プロセスや理解の仕方は人それぞれでいいんじゃないかと思うんです。特に高校理科の内容なんて、ヴィジュアル化できないミクロな課題を取り扱ったりしていますので、イメージが大事なわけで、擬人化してみたり、物事に例えてみたり、人それぞれの理解方法があるはずなんで。「こうやって理解しなきゃダメだ!」みたいなのを幼少期に押しつけることは彼らにとって非常に不利益であるんだろうなと。小学校の先生も、中学・高校でどのような数学が行われるのか(ある程度は)知っているはずなんで、将来彼らが学ぶであろう内容を念頭に置きながら指導するってことはしないもんなのかなと。

現状では、息子くんの計算方法を理解してくれる小学校教員は多くはなさそうなので(理数が苦手の小学校教員が多いのは隠されていますが事実です。。。)理数科目については、自宅でどうやってフォローすればいいなかと、いまから予防線を張っておいた方がいいのかもしれないなと。。。

小学生の頃の算数体験

ふと、自分が小学生のころの算数体験を思い出したのでご紹介

循環小数との出会い

1÷7=0.142857142857…

142857が繰り返すんだと計算したら面白いと教えてもらい

142857×2=285714
142857×3=428571
142857×4=571428
142857×5=714285
142857×6=857142

と142857の順番は変わらないことを計算し、さらに

142857×7=999999

となる不思議さを手を動かして体感しました。

この経験が後に高校数学で

0.999999…=1

であることを証明したときに「あー、なるほど!」と繋がったのはいまでもいい体験だったなぁと。

円周率の50桁

円周率が3.14で終わるものではなく、ずっと続くものだと知り、

3.1415926535897932384626433832795028841971…

と下50桁まで覚えてしまったのですが、あれから20年以上たっても値を忘れるわけでなく、ずっと覚えているって不思議なものだなと感じています。

なんの役に立つのだと当時も言われましたが、今でも何の役に立つのかはわからないです。でも、物を覚える感覚を身につけるにはいいトレーニングだったのかもしれないなと。

ついでに、

1÷7=0.142857142857…

の体験から22/7(=3.142857142857….)が円周率と近い数値だとわかり、「へー」と感じたからこそ、算数嫌いにならずに楽しめて、今でも復習しても苦じゃない状態です。

こんな感じで遊びながら学ぶ体験が子どもたちからは減っているのかもしれないですね。

「知」が支配のタネになる

授業で日食や月食について取り扱っていたときに、ふと思ったことについて

 

日食や月食の不思議さ

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日食や月食がどうしておこるのかは、教科書を読めばわかりますし、
説明しても「へー、影に隠れるんだ」ぐらいの扱いなんでここでは割愛。

魅力的というか神秘的な現象だからこそ、
テレビ画面ではなく、肉眼で見てみたいという欲求が情報化の進んだ現代社会でもわくのでしょう。

1000年も昔であったら、テレビもねぇ、ラジオもねぇ、それどころか新聞も情報ソースが何もなかった時代でしょう。そんな時代において、自分の家族だけに伝えられている天体現象の秘密があったとしたらどうなるんだろうかと。
例えば、ある時期になると「満月が急に欠け始め、やがて消えてしまう」現象が起こるという確かなデータが○○家代々の秘伝として書き残されており、明日その現象が起こるとして、自分だけが知っていたとしたら。
生きていくのも困難な時代であれば、「明日、満月が急に欠け始める。不吉なことが起こる予兆であるので、ワタシはこれから供養を始める。もし満月が欠け始めたら供物をもってきなさい」とか周囲に言っておけば、予言があたり、不吉に感じたものたちが供物をもってくるだろうし、時間が経てば満月に戻るので、供養も効果的だったと信頼される。月食は1年に1度ほど起こる現象なので、毎年言い当てれば、周囲の信頼が得られ、権威を持つことも可能だったんだろうなと。

実際に、「暦を知っている」「気候を知っている」ことは特権階級のみに伝えられていた情報だったようです。占星術やまじない師なんていたのも、こんなことを元にしたんじゃないかなと。

で、現在の社会では情報はオープンになっているものの、その情報があまりにも膨大すぎるので、真実にたどり着くのは困難である。なので、現代においても、上手に情報を利用して人々の心を掌握している人はいるだろうし、悪用する人たちも少なからずいてるのだと。

そんなことを授業で伝えてみたけど、伝わったんだろうか。

奈良の大仏の恐ろしい一面

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上記のような話を歴史の先生にしていた流れで、奈良の大仏の金メッキ技術の話になった。教科書だか資料集にも書いてあり、自分も知っていたが、いま振り返ると恐ろしいなと。以下、話の内容のまとめ。

奈良の大仏を金でメッキするために「金アマルガム」を利用しています。金アマルガムというのは金と水銀の合金のこと。水銀に金は溶け、溶かした水銀を蒸発させれば金が残りメッキができる仕組みを利用して、奈良の大仏は金メッキされていたのだよ、と教科書などに書かれいます。

現代の中学生でも、あまりピンときていないようですが、「水銀を蒸発」させたわけでして、小学生のころ学んだであろう水俣病の情報と関連させれば、危険な技術であることがわかってもらえますかね。水銀の蒸気って有毒ですよ。人を死に至らせる程度の毒性がありますよ。

資料によれば、使われた水銀が2トン強。それらを蒸発させて大仏様を金メッキ。奈良に都があった時代にあの場所で、水銀を蒸発させていたんで、少なからず被害はあったはず。いや、だいぶ被害はあったはず。なんですが、歴史書には被害の詳細は一切書かれていないそうです。一切書かれていないってのが恐ろしいですよね。おそらく、その時代の権力者なり技術者は「水銀が人を死なせるほどの毒性がある」ことは知っていたんでしょうねぇ。犠牲も折り込み済みで大仏を建立して、被害が出ることも予想し、被害情報を伏せるところまで計画してたのではなかろうかと。

そんなことを考えていたら、やはり「知ること」って必要だなと。「知」の信憑性は確認する必要はあるんだろうけど、「知らない」ことで悪意あるものから狙われる・巻き込まれるってのは歴史を振り返ってみてもたくさんあったことなのだろうなと。「勉強って必要なの?」と子どもから問われることは多々あるのですが、「知らない」ことがデメリットであることはきちんとした方法で伝えていかないといけないなぁと。「知らない」人を相手にするほうが、支配しやすいものでもあるのだなという陰の部分をきちんと伝えておかないといかんな。