ぜんぶGIGAのせいだ

GIGAスクール構想

年末に持ち上がったGIGAスクール構想についてまとめておきました。これ、結構なスピード感を必要としている中身で。できない(取り残される)学校も出ること込みで、動いている感じがしてます。もう、平等とか公平とかそんなんじゃなくて、やるところからやる。その予算はつける。遅れたところは知らね。みたいな。

noteに書いておく

個人メディア(文章を書くところ)をnoteに移設しました。よろしければどうぞ。もう、動き続けるしかないので、やれるところまでやります。

https://note.com/nozkoh/n/n39ff16d79fc1

学校関係者にも読んではもらいたいですが、子どもや保護者がキャッチアップして、自らの所属する学校に投げ込んでもらいたい案件です。それぐらい、待ったなしで動く必要があるヤツです。

ここまで動くのも、GIGAスクールせいだ。ネガティブではなくポジティブとして。こんなに危機感を感じるのもGIGAスクールのせいだ。

誰に気づかせるのか

GEG Kochi のGoogle認定イノベータープログラム報告会に行ってきました。愛媛から参加された先生による高知での報告会。報告会の内容は、ちょっと置いといて、ふと思ったことをいくつか。

地方こそICTを

これ、ホントに感じています。物理的な距離を無効かできるツールであるのに、使えない状況が多いわけで。先日、都内の某社で行われた Maker教育やSTEAM教育の交流会に行ってきたんですが、そこでも同じことを言われました。なぜ、地方の学校こそ使わないのだと。

使う必要性を認知できていない

これは、地方と都市部を行き来して感じてきていることですが、地方だとPC使えなくても仕事できちゃうケースが多いんですよね。都市部だと使えないと仕事できない人扱いされますので。何をするにしてもPCスキルは必要……というよりもスライド作ってプレゼンすることはどこかで必要に迫られることなんだろうなと。地方はできなくても大丈夫案件が多い。だから使う必要性をいまだ認知できずの環境なのかなと。

生徒の周囲環境として、PC使える人(素早くタイピングできるとか、簡易資料を素早く作成できるレベルのことです)がフツーにいるのか、珍しい存在であるのか。そのあたりは、見えてない環境差なのかと感じています。「あー、あれフツーに便利に使えるし、簡単じゃないか」と思える環境なのか「特殊な人が使っている珍しいものではないか」と誤認してしまう環境なのか。

だからこそ「怖い」と感じる

都市部の人は使ってフツーなんですよ。そこから先に、何ができるかの世の中です。目に見えない部分で「ひのきの棒」を装備してるのか「はがねの剣」を装備しているのかの違いが出ている気がしてます。装備が見えていないから成績が同じように見えても、ステータスのパラメーターが違ってたりするんじゃないかと。全力出して成績が同じぐらいに見えてんだけど、実は相手は6割ぐらいの力しか出してなかった成績と比較してたような感じで。しかし、そこに気づいていないのではなかろうかと。先生も生徒たちも。ここはエビデンス見つけたいところだけど。

学校は誰のもの?

ある参加者が「学校は、生徒が顧客で、先生がそこに属する労働者」という視点を投げかけてくれたときに、自分のスタンスが生徒の方ばかり向いていたので、ちょっと立ち止まって考えています。学校の枠組みで考えるとき、誰の方向へアプローチする選択肢があるのかと。

会社は、出資者(株主)がいて、それに対しては成果を見せないといけない。利益という成果であれば、顧客から売り上げを、労働者は工夫して利益率を。簡単にいうとこんな感じになるのかな。

学校だと、顧客は生徒(もしくは保護者)であり、労働者は教職員、出資者は誰になるんですかね。公立だと自治体、私立は理事会か。

学校の枠組みで考えると、登場するのは「生徒(保護者)」「教職員」「自治体(=地域の人)・理事会」ぐらいに分けられるのかなと。

ということは、ICTが必要であることを気づかせるためには、これらの人たちにそれぞれアプローチをする必要があるのかもしれないなと。ボクの中では、生徒が気づいていない環境差に危機感を持っていたんですが、環境を変えるためにはそこに関係する人々がそれぞれ認知しないと難しいのかなと。

フツーの人がフツーにPCを

PCの裏側を開けてこつこつパーツを差し込んだりするのがPCを使える人ではなくて、誰でもがPCを使っていいんだよになる必要がありそうだなと。ボクみたいにPC使って当たり前の都市からきて、PCが好きで興味ありすぎさんが「便利ですよ」といってもイカンのかもしれないですね。なんか面倒くさいし回り道のようだけど、急がば周れなのかもなと。。。地方だとスマホの方が入り口としては早いのかもしれないですね。

社会との接点を

高校生が進路選択するうえで、多くの社会人から話を聞けないことがとても不思議なことだと感じていました。また、学校の中で教員になりたいって言われても、進路選択ぐらいしか伝えない感じも変だなと。どの大人にだって、社会に出るまでの道筋にはたくさんの心の揺れなどがあるはずなのに、話してもらえる機会もないし、アドバイス的なものもなく、機会損失してるんじゃないのかなと。

さらには、地方に行くほど、会える大人の数やヴァリエーションも少なく、意図的に話す場が必要なんだろうなと。そんなことを思っていたときに、前回のイベント同様に、KSBさんから機会をいただき、高校生と社会人が話す場を設けました。

高校生はちゃんと対話できる

やりたいことを各自が紹介し、高校生たちの意図をくみながら、彼らがホントにしたいことはなんだろうかと掘り下げていく対話をしました。「小説家になりたい」のであれば、「その背景には何があるのか」や「実際に書いてみて投稿するツールがある」とか「表現をして稼ぐには」とか学校の中では得られない視点づくりをする形です。彼らが言葉にしているなりたいものなのかを、本当にそうなのか、狭い範囲で絞りこむのではなく広げていければいいなということを意識して場の設計をしていました。「やりたいことの幅がひろがった」っていう感想が上がっていたので、来てくれた高校生たちにはよかったんだろうなと。

学校で言えば先生世代の大人側がやさしく対話してくれることや、みんなのやりたいことを受け入れてくれることを経験することで、どんどん打ち解けて話していく様子を見ると、「場」を設けるだけで彼らは成長するんだろうなという感覚は得られました。感覚でしかないので、こういったことのエビデンスとか取っていくといいのかもしれないですね。

http://htus.jp/2019/08/ksb-high-school-talk-day/?fbclid=IwAR2ERoOro2jNO9hKxn82N1OYtGCZH-2QjiXXaOIdVB62kg8A0RwO-8J3HgA

学校ではない場に高校生を集めるには

学校ではない場に高校生(中学生でもいいんですが)に来てもらう部分での設計が難しいですね。特に地方だと彼らが動ける範囲が限られていて、蔦屋書店に初めて来たみたいな感じの意見もあったなと。大人も彼らも一緒に気軽に対話できる場の環境設定は今回のイベントでできそうだなとも思えたんですが、どうやったら集まってもらえるのかは考える必要がありそうです。学校ではない場にこだわるのは、気負わずに自由に話せる環境を提供したいということもあるので、そのあたりもう少し考えないとですね。何かいいアイデア浮かべばいいのですが…

教育の場にフツーの感覚を

数年前、右寄りの方々が教育会を賑わせておりました。 教育会といえば、左寄りの方々が多い世界でもありまして、 教育学部に進学する際に、引っかかっていた部分です。ボクとしては「どっちがいいとかではなくて、どっちの思想も押し付けてこないでください……」

教育の場を思想の押し付け合いになることに対して疑問に感じていたんですが、
ちょっとまとまった考えが思い浮かんだので、別のところにメモにしていたことを改めて書き起こします。

どちらの方々にも不快さを感じる

主義思想を全面に押し出そうとする人たちって、押し付けようとするんです。「国歌斉唱する際は起立して、歌うんじゃー」とか 「国歌なんてクソくらえ。起立もしないし歌わんぞー」とか 極端な方々がいらしゃって正直迷惑に感じています。 「まぁ国歌だし、ここはちょっと立って歌っておくか」とかぐらいじゃダメですかね。 礼儀として起立ぐらいはしておいたほうが人間としてまともかなと思うから立つわけで、 国歌だから口ずさんでおこうかなぐらいのテンションですけど。

カナダに研修旅行で行った際に、 アイスホッケーを観戦したんですが、試合前に国歌斉唱があったんです。アメリカとカナダの両国歌の。 観客全員総立ちで、静かに聞いていました。アメリカの国歌でも立って聞いています。カナダの国歌は口ずさんでいます。人それぞれの声の大きさですけど。

この様子がグローバルスタンダードじゃないのかなと。

「君が代は国歌として認めない!起立などしない!」とか思想を振りかざす人がいますし、 「君が代は国歌じゃ、歌わんと認めん!」と逆側の思想を振りかざす人もおりますが、 外交上どうやらNational Anthemが必要になって、経緯はどうあれ150年ほどそれっぽく歌い続けているんですから、まぁ、形式上歌っておけばよくないですか?

で、National Anthemは流れる際は、起立ってのが好ましいので、それに従うという 国際基準に則っていまーす。程度です。庶民は。思想振りかざして国歌斉唱の際に起立しないのって、国際基準としては失礼な振る舞いですので、教育界の方々は、それを子どもに伝えることの意味を理解してもらいたい。かといって、起立しているからといって、全て信じている訳でもないですから、その辺も理解しておいて欲しいですね。「別にどちらの思想を受けとる訳でもないですし、そんな深いことまで子どもは考えとりゃしません」程度ですって。サッカーの日本代表戦での国歌斉唱を眺めながら、左右の主義思想など考えてる方はどちらも少数派ですから。

必要なのは食える力だって

教員やってて感じるのは、どちらの思想の方々も、「教師=仕事 」の感覚が欠如していませんかと。まぁ、思想の伝道師ですから、仕事って捉えてないんでしょうけど。あと、授業のことばっかり考える人もいるし,生徒指導だったり部活熱というベクトルに向きすぎてしまっている人もたくさん。

理想を振りかざしても、多くの子どもたちのミライには、ある程度の収入は必要なんですよ。理想論ばかり言ってても生きていけないの。稼がなきゃ生きていけないんです。たくさんお金稼ぐでもいいし、お金はちょっとでいいから楽しく人生歩みたいでもいいし、サヴァイブしていかなきゃいけない時代になってんだから、子どもにその力を個々が身につけられる場の設定が最優先じゃないのか?って。どんな生活したくて、それにはどんなことが必要で、だから何を学んでいかなきゃいけないのかをきちんと考えさせないと。

安くても儲けられる工夫があるから店は成立するわけで

そんなことを伝えるために振り返りましょう。教師は職業であり仕事ですと。その教師をしていて得られる給与はどこから出てるのか。何と引き換えに給与を得ているのか。どのような雇用関係を結んでいるのか。きちんと述べられる教員ってたぶん多くない。

教師も自ら仕事に対して対価を得ることにきちんと向き合うべきだし、収入はどこから得られているのか理解して、どんな財政状況か、収支バランスは問題ないのか、などなど。社会に出て働かないといけない子どもたちに、きちんとオトナとして理解してから発言しましょうよと。

あまりにも学校という社会が世の中の普通からかけ離れてしまっていて。そこに、両極の思想村の住人が最後のお花畑として狙っているのかもしれません。きっと、この住人たちはICTが迷惑なんです。だって外の世界とつながっちゃって意見をもっちゃうから。だから、両極の思想村の住人はそこだけは共通して断固反対とかになるのかも。子どもを食い物にしようとするのはやめて欲しいですね。彼らの生きていく術を見つけるのが教育の場ですって。 子どもと真摯に向き合いませんか。彼らの話を聞いて、オトナもきちんと伝えて、対話するのが、本来の姿ではないでしょうかと。。。

内向きにならないために

教員をしてるんですけど、外のイベントにドンドン足を運んでいます。外の学びの世界を肌で感じておかないとってのもあるんですけど、外とのつながりだったり、場を持つことが教員にとって大切やと思っているのです。

外に出て、いろんな人に出会い、名刺交換とかしますけど、最近の自己紹介は「たぶん先生」です。1人の人間として社会に出て交流をして、次の世代にできることは何だろうってアプローチしたくって活動していて、そんなボクの職場が学校なだけなので、「たぶん先生」

意見をアウトプットし続ける

もうすぐ不惑が見えてきて、これまでのことを振り返ってみると、大学を卒業して、学校の時間講師やって並行して予備校講師やっていた。そのあと教育企業で働いて、移住して、ひょんなことから学校に戻ってきて。。。と、教育に長いこと携わってきたわけで。

移住してみたら、地方と都市部との教育格差を感じちゃって、会社で働いてた経験があるから、社会と学校教育をつなぐ架け橋になれるだろうってことが文章をこうやって書いている衝動でもあります。文章を書いておかないと、腕が錆びるし、頭の整理ができないこともありますので。

せっかく社会人していた人間が教員やっているので、その視点から教育についてや、教員としては珍しい人種の理系教員の視点、受験に直結はしないけど役に立つであろう勉強方法など‥‥‥なんてことを文章化することをトレーニングしておかないといけないって感じているのです。

教員だからって内向きにならない

メディアを持っていることって大事ですね。って、教員を再開して感じてます。子どもたちの方がメディア(SNSやらYouTubeやらなんかしらのアカウント)を持っていて発表したり、コメントしたり、なんらか外向きに発言したりしてますし。ただ、教員ってそれをいいと思ってないんですよね。きっと。自分がやってもいないのに・・・バズることの難しさを知らない。間違うこともあるんだろうけど、それ以上に得るものもあると感じてます。外に出て、話す。外向きに、意見を述べる。賛同してくれる人たちと出会う。子どもたちが未来のためにしておくべきことの1つではないかと。

遠くを見れば、いろんなものが見えてくる

というわけで、しばらく沈黙してたんですが、インプットに注力してたので、またコツコツを書き溜めてまいります。

学びには「場」が大事

ふとしたことから、Life is Tech! と高知家のコラボITプログラミングキャンプの発表会の場を見学させてもらいました。あらためて、感じたのは学びには「場」が大事だと。

Life is Tech! って?

IT教育プログラムを提供している企業で、老舗。全国各地で、キャンプを主催していたり、企業とのコラボレーションに力を入れています。

https://life-is-tech.com/

教員向けプログラムも開催しているので、ちょっと興味があります。(が、今年はスケジュールが合わないな・・・)

プログラミングってハードルが高そう

そのあたりも工夫されていて、場づくりが圧巻でした。前で話す進行役に対して周りの学生(メンター)がガヤを入れたり、ツッコミを入れたりして、場が和みます。子どもたちの表情が柔らかくなり、発話しやすい雰囲気。子どもたちのいいところを最大限に引き出そうという工夫が随所に見られます。だからプログラミング初体験でも、積極的に取り組んでいけるんだろうなと。

プログラミングが取り入れられた目的ってのは、プログラミング的思考を大切にするんだと言われておりますが、それに加えて「自分で作ったものだからこそ、自信をもって他人に紹介ができる」ってところにあるんじゃないかと感じます。うちの息子くんもプログラミング教室に通っていますが、発表する際に、「こうしたらもっとよくなりそう」って改善する視点を入れていて、学びたいって姿勢をとても感じます。

学ぶ「場」を設計して見守ることの大切さ

大人がプログラミングのことわかってなくていいんですよ。きっと。どっちかっていうと、子どもがアウトプットする場を定めて、「すごいねー」と聞いてあげることなんじゃないかと。

https://www.ted.com/talks/sugata_mitra_build_a_school_in_the_cloud?utm_campaign=tedspread&utm_medium=referral&utm_source=tedcomshare

今回、見学をしていた時に、Sugata MitraのTEDスピーチを思い出しました。PCを路上にセットしておくだけで、子どもたちが触って学んでって姿から、励ますことの大切さを語っています。そんな彼のスピーチの中で

The teacher sets the process in motion and then she stands back in awe and watches as learning happens.

と伝えているところがあります。学習が起こるのを待つことで、加速度的に子どもたちが学び始めることを設計しないといけないんだろうなと。そして、ジャマしないように、場の設計をして待つことが教師としての役割なんだろうなと。。。

現代版単語帳Quizlet

仕事が立て込んでいて、文章を書く気にならず、ほったらかしになっていました。書かなきゃいけないと感じる教育ネタが出てきましたので、書き残しておきます。

スマホを勉強のツールに

「スマホ = ゲーム or SNS」 って教育現場界隈では悪者扱いされがちですが、それって使ったことない人(教育関係者)が言うんですよね。あと、周りの大人。ちゃんと使う人がいれば、そんなことないって気づいているはずなんですけど。

単語帳って、モノを覚える際に利用したことある人は少なくないと思うんですが、ICT活用すればデジタルな単語帳ツールがあるんですね。

https://quizlet.com/

Quizlet(クイズレット)です。自分で、学習セットを作成して、デジタルな単語帳をつくれるってイメージです。

理科の教員なので、元素名と元素記号の学習セットを作ってみたりしました。これを教室で投影しながら覚えているかのチェックもできます。スマホやタブレットが持ち込めるようであれば、この学習セットが共有できるので、彼らの学ぶ支援になるのですが。。。持ち込めない学校多いんでね。。。

1対1対応で選ぶクイズっぽいことも可能です。自分でテストをつくることも可能。あ、先生がクイズを出したり、テストをこれで配信したりすることも可能なんです。スマホやタブレットがあれば学びの幅は確実に広がります。。。

最近、このツールをつかって学んでいる環境を見たんですが、やっぱりいいなって感じています。道具の使い方を教えるべき学校が、持ち込ませず排除し、使ったこともないまま悪者扱いってのはどうなのかなと。異質なものの排除を率先しておこなっているのは、教育の場としてNGではないかとも。

https://mainichi.jp/articles/20190625/k00/00m/040/096000c?fbclid=IwAR2t-E9arn2YmosNih2CR0JobukvichPfp7n6Gaupc_0Iysf0aTizr_piNQ

と思っていたら、児童1人にPC1台の方針が打ち出されました。25年度までって、6年後の話なんで、そのころには、もっと学校がテクノロジーの置き去りにされている可能性が。Hey Siri とか OK google とか6年前はなかったですからねぇ。世の中ではフツーに使われてるのに。。。

とはいえ、方針が打ち出されたので、重たい腰が少しは浮き上がることを祈りながら、現場からもICTの活用の仕方を生徒と考えていけるようにしなければと思うわけでした。

刺さるマンガ「ブルーピリオド」

いいマンガなので、ぜひ何度も読んでもらいたいのです。4巻まで発売されております。特に中高生あたりに読んでもらいたい。進路のこととか、もやっと悩んでいる人におススメ。

成績優秀、世渡り上手。

飲酒喫煙夜遊び好きで人望もあるリア充高校生男子が

なぜか絵を描く喜びに目覚めた!?

美大を目指して青春を燃やすスポコン受験物語が開幕!

ブルーピリオド(1) (アフタヌーンコミックス) 山口つばさ 裏表紙より

ブルーピリオド2巻の刺さる言葉たち

美術なんてできない教員です。技術的なこととか、芸術的なこととか、そんなことはわからないです。このマンガは、進路というか、何をしたらいいか迷う時期にこそ、器用貧乏なリア充の八虎が悩む姿から、「あぁ、迷っていいんだな」と立ち止まってモヤモヤ考えるきっかけを与えてくれるんじゃないかなと。そんな感じで名言が数々あるのですが、特に2巻の名言たちが突き刺さります。

まずは ”自分が何を好きか知ること” 
(大場先生が八虎へアドバイス)

お前本質を何もわかってない
(絵のうまい世田介が八虎へ言い放つ)

世間が良いっていうものにならなきゃいけないなら俺は死ぬ
俺の ”好き” だけが俺を守ってくれるんじゃないのかなあ…!
(女装男子鮎川が振られ嘆くシーンで)

俺の絵で全員殺す そのためならなんでもする
(八虎がムカムカと絵を描きながら)

ブルーピリオド(2) (アフタヌーンコミックス) 山口つばさ

読みながら20年も前のことを思い出すわけです。「あー、何かに没頭してたな」と。で、いまの生徒を見て(八虎を見て)思うのです。「そりゃ、情報がありすぎて没頭するのに迷うよな」と。

没頭することの必要性

中高生の時代までに好きなことに没入する体験が必要だと感じてます。無心で没頭する体験。自分の場合は、高校3年生の手前ぐらいで、教育に興味が湧いて、受験勉強そっちのけで、教育に関する本を読み漁る。小論文が必要かもってことで、予備校の人文系の小論文の授業にはまる。2週に1つのペースで小論文を提出すればいいのに、2週に2本ペースで文章を書き始める。(あ、読書感想文とか書くのも大嫌いな高校生だったんですけどね)

教員を志望したことの振り返りでも書いたけど、いま振り返るとよくわからない衝動で、「自分の好き」が理科と教育っぽいと信じて、ブレーキ壊して没頭してたんだと思うんです。理科の好きは自分の周囲の環境がそうさせたので、疑ってなかったんだけど、それに加えて何になりたいとか、教師になりたいとかそんなことは、ほぼ無しで、教育が「好き」って感覚があった。教える方法とか、そんなの無くて、教えるって行為そのものの難しさや、不完全な人間が不完全な人間を育てていくのに、片方がエラソーに話している滑稽なシステムが愛しくもあり、不思議でもあり興味深いという感覚(だった気がする)。

と、そんな感じで自分の青春時代の振り返りをさせてくれるブルーピリオドおススメです。