Most Likely To Succeed 自主上映会 in 高知を行います

Most Likely To Succeedって

https://teddintersmith.com/mltsfilm/

Most Likely To Succeed (MLTS)は「人工知能 (AI) やロボットが生活に浸透していく21世紀の子ども達にとって必要な教育とはどのようなものか?」というテーマについての映画です。内容は、米国のカリフォルニア州にある High Tech High というチャータースクールに通う二人の高校1年生の成長を追いかける過程で、日本と同様な受験偏重型教育と、生きる力を身につける実践的な教育のバランスをどう考えるかなど、国は違えど似た状況も多く、教育を取り囲む様々な視点について考えさせられる作品なんです。

高校1年生が登場するんですけど、最初は「日本の高校生と似てるなー」って印象。それが、1年で・・・まぁ、変わる変わる。同じ人物なのかってぐらいの変容。特に、何かを教員がしているわけではないんだけど、変わる。

次年度から始まる教育改革

10年に1度、教育指導要領が改訂されるんです。小学校は次年度より大きく変化します。小学校3年生から英語科とかプログラミングが始まるとか。それの根っこの部分が、このMLTSで取り上げられている部分にあるのかなと感じます。子どもが自分らしくあるというか、自分は何者でありたいのかを問いかける教育を行っていきましょうと。話題に上がっている、英語の4技能とか、数学国語の記述問題とかも、本来はここが根っこなんだとボクは感じています。

同時に、学校がちゃんと学校本来の姿として機能することを求められています。学校がどのような教育を行うのかを各学校で定めて取り組んでいくようにという、当たり前のようで忘れられていることを見つめ直す機会でもあります。

STEAMとかPBLとか何?

Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、 Art(芸術) 、Mathematics(数学)のSTEAM教育とか、Project Based LearningのPBLとか教育界隈ではホットなキーワードとなっております。これって何?という保護者の方(教育界隈の方も?!)に、わかりやすく、そして必要であるということに直感的に気づける内容でもあります。そんな方にもぜひ見ていただきたいわけです。

そんなに教育って変わらなきゃいけないの?

情報は指数関数的に増加しています。ここ2年間で世の中の9割の情報が生まれているとも言われています。ということは、高校1年生が3年生になるときには、現存する情報の9倍の情報が高校卒業時までに生み出されるという予想ができます。これだけ情報が多様化している中で、教員にできること(するべきこと)は変えていかないといけません。未来を生きる子どもたちに必要なものを昔の何かにすがっていては彼らが不利益をこうむります。しかし、学校を取り巻く「何か」が影響して大人も子どもも袋小路に迷い込んでいるのが現状であると感じています。あるがままの子どもの可能性を見つめ直す材料としてのMLTSなので、多くの教育に関わる人に(教員だけじゃなく、保護者にも)見てもらいたいと思っていたので、高知で見る機会を作ってみようと思い立ち自主上映会をFutureEdu Tokyo様との共催で開催することにいたしました。

12/14に上映会を高知市で行います

もしお近くにお住まいで、興味がありましたら、ご参加ください。

Most Likely to Succeed 自主上映会 in 高知|EventRegist(イベントレジスト)

エイチタス高知支社 (ガイアビル4階, はりまや町3-3-3, 高知市, 高知県, Japan) [主催] Tosa Educator’s Guild(とさエデュ) 新着情報 以外の方法での支払いをご希望の方は事前にご相談ください。 高知での多くの教育ステークホルダーに見てもらい、ワイ ワイと対話して、これからの教育に必要なものを考えるき っかけにづくりを目的としています。 開場 :13:30上映 :14:00~15:30座談会:15:40~17:00 チケットをEventRegistのシステム連絡先: info@tosa-edu.com 【STEAMとかPBLって?の方はこちらを】 Facebookコメント 開催場所 エイチタス高知支社 高知県 高知市 はりまや町3-3-3 ガイアビル4階 主催者情報

この日には日程が合わないんだけど、ぜひ別の機会を作ってほしいということがありましたら、ご連絡いただければ幸いです。

社会との接点を

高校生が進路選択するうえで、多くの社会人から話を聞けないことがとても不思議なことだと感じていました。また、学校の中で教員になりたいって言われても、進路選択ぐらいしか伝えない感じも変だなと。どの大人にだって、社会に出るまでの道筋にはたくさんの心の揺れなどがあるはずなのに、話してもらえる機会もないし、アドバイス的なものもなく、機会損失してるんじゃないのかなと。

さらには、地方に行くほど、会える大人の数やヴァリエーションも少なく、意図的に話す場が必要なんだろうなと。そんなことを思っていたときに、前回のイベント同様に、KSBさんから機会をいただき、高校生と社会人が話す場を設けました。

高校生はちゃんと対話できる

やりたいことを各自が紹介し、高校生たちの意図をくみながら、彼らがホントにしたいことはなんだろうかと掘り下げていく対話をしました。「小説家になりたい」のであれば、「その背景には何があるのか」や「実際に書いてみて投稿するツールがある」とか「表現をして稼ぐには」とか学校の中では得られない視点づくりをする形です。彼らが言葉にしているなりたいものなのかを、本当にそうなのか、狭い範囲で絞りこむのではなく広げていければいいなということを意識して場の設計をしていました。「やりたいことの幅がひろがった」っていう感想が上がっていたので、来てくれた高校生たちにはよかったんだろうなと。

学校で言えば先生世代の大人側がやさしく対話してくれることや、みんなのやりたいことを受け入れてくれることを経験することで、どんどん打ち解けて話していく様子を見ると、「場」を設けるだけで彼らは成長するんだろうなという感覚は得られました。感覚でしかないので、こういったことのエビデンスとか取っていくといいのかもしれないですね。

http://htus.jp/2019/08/ksb-high-school-talk-day/?fbclid=IwAR2ERoOro2jNO9hKxn82N1OYtGCZH-2QjiXXaOIdVB62kg8A0RwO-8J3HgA

学校ではない場に高校生を集めるには

学校ではない場に高校生(中学生でもいいんですが)に来てもらう部分での設計が難しいですね。特に地方だと彼らが動ける範囲が限られていて、蔦屋書店に初めて来たみたいな感じの意見もあったなと。大人も彼らも一緒に気軽に対話できる場の環境設定は今回のイベントでできそうだなとも思えたんですが、どうやったら集まってもらえるのかは考える必要がありそうです。学校ではない場にこだわるのは、気負わずに自由に話せる環境を提供したいということもあるので、そのあたりもう少し考えないとですね。何かいいアイデア浮かべばいいのですが…

教員だってただの人

また、更新に間を空けてしまいました。

文章化をすることをしないといけないと生徒たちに言いつつも、自分が手抜きをしてしまうので、よくないなと……まずは自分で実践いたします。書く時間を決めちゃえばいいだけなんだろうけど。

イベントのコーディネーターを依頼されていました

という、保護者と教職員が気軽に話せる場をコーディネートする役割をさせてもらいました。保護者との対話が教員には少ないと感じていて、面談や懇親会の場で、話さなきゃいけないことに追われて話す機会しかなく……担任ではないと保護者と話すことないですし、でも、ホントは自由に教育について意見交換していいと思うんですよね。子どものために。

いま、教育が変わろうとしているときに、保護者の方にきちんとお話することができていない。ホントはこうしたらいいんじゃないかと思っているけど保護者の方の意見をざっくばらんに聞くことが教員側もできていない。お互いに形式的なコミュニケーションで消化不良なのではないかと感じていて、これを解消するために、少しでも歩み寄って話す場ができるのではないかということから、この会の開催となりました。

いろいろと反応が

学校の枠を越えて教職員側も何名か集まっていただけ、いろんな様子を保護者側に伝えることができたんだろうと感じています。先生側の悩みだったり、保護者サイドの問題点や教員サイドの問題点が浮き上がってきたり、解決にはならないけど、こうして共有化することで、解決の糸口をつくるキッカケにはなるんじゃないかと感じました。

担任の在り方については厳しめな意見もあって、これって誰得な制度なのかと考えさせられることも。「あたり・はずれ」となってしまうのは、担任を決めてしまうからであり、担任を決めることにより、 「あたり・はずれ」 が付きまとうことをわかっていながら学校は何故してしまうんだろうか……多様化している社会において、1人の教員が見守りきれる問題を越えているんじゃないのか。そういった事例を聞くと、考え直さないといけないのではと心から思うわけです。

多くの学校の中では「担任を持つことで教員としての成長が」という意見をチラホラ耳にします。その部分は否定しません。(自分は企業での与えられた役割で成長したことを実感していますし、学校で担任したときも生徒に成長させられた実感は強くあります)ただし、On the Job Training と言うよりも任せっきりであることも少なくないので、生徒をまとめる部分での力量が届いていない教員が、単純に「はずれ」評価になってしまうのは、教育機関としてどうなんだろうかと。保護者側も言いたくないけど「はずれ」と表現せざるを得ない場合にあったときは、どーしよーもなく無力なのだと。だから「はずれ」という表現になってしまう。教員側も保護者側もわかっているはずなのに、言えないし、歩み寄れない不思議な部分だなと。チームで多くの生徒を見守る形に変えることで、お互いが、win-winになれるんだという感触を得られました。わたしみたいな「緩衝材」的な役割が学校に必要なのでは?と保護者側から言われたことは素直にうれしかったですね。クッションとかバッファとか、そんなイメージなんだろうか。

取材もされ……

読売新聞さんから前日に取材依頼があり、地方面の「うちのセンセイ」に記事を掲載したいとのこと。子どもと社会をつなぐというフレーズで紹介していただきました。記事(文章)にしてもらうと、また違った側面から自分を見ることができますね。「生徒や保護者の悩みを聞き、一緒に学んでいける教師でありたい」は言い続けている気がします。学びの主体は生徒であり、それを支えるのが保護者であると思っているし、教員ができることは限られているのだと。その限られた中でしか動けない中で、できることを見つけることが教員として必要なんだと。教員だって、ただの人です。保護者な立場もあります。その中で、できることをすることが仕事だと。そうやって言葉にすることで、ちゃんとやるべきことが見えてくるはずだと。